今季限りでの引退を表明したヤクルト青木宣親外野手(42)は、切り替えの天才だったように思う。

私が担当した2004年(平16)の入団1年目シーズン。10月5日の神宮球場クラブハウス前でかわした会話を思い出す。

そこまで思うような出場機会が得られずにいた中で、約1カ月ぶりの1軍昇格にも「1年、終わってしまいますね」と悔しさを口にしていた。だが、来季に新人王の権利が残ったことを知らせると「それもそうですね。残りの試合を来季に向けた準備にします」と、一瞬で切り替えた。その後、わずか数試合で何に取り組んだのか、詳しく聞く機会は得られなかったが、翌年の結果はご存じの通りだろう。202安打で首位打者。余裕の新人王だった。

その日は若松監督の続投を多菊球団社長が堀オーナーに報告。戸田では飯田哲也や成本年秀ら往年の名選手に戦力外が通告された。コミッショナー事務局では球界再編問題における事務折衝が行われ、セ・リーグにもクライマックス・シリーズを導入するもとになる話し合いがなされた。なかなか神経をつかう現場に携わっていた中で、青木のひと言は潔く、さわやかな印象があった。

また別の年、スランプからの脱出法を聞いたこともあった。打率が2割台で、青木にしては低迷している時期だった。試合後、帰路につく車のエンジンをかけながら「線を引きます」と教えてくれた。そこまでの成績でいったん終了。翌日から新たなシーズンのつもりで臨むのだそうだ。その年も、終わってみれば3割を打っていた。

21年にも及ぶ現役生活の中で、安定して活躍できた理由の1つに、“切り替える力”があったのではないかと思う。引退発表会見で自らの野球人生を「100点満点」と言った。これも、青木らしい次の人生に向けて踏み出すための、最高のひと言だと感じた。(敬称略)【04年ヤクルト担当=竹内智信】

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