なぜ人は誹謗(ひぼう)中傷をするのか。自身の体験とパリオリンピックから考えてみた。
柔道女子52キロ級で敗退を喫した阿部詩選手。ネット上には試合後に号泣して退場しなかったことへの批判の声などが書き込まれた。他にも男子60キロ級の準々決勝で不可解な敗戦を喫した永山竜樹選手の対戦相手にも誹謗中傷が殺到した。
人はなぜ、他人の行いにこんなにも必死になって誹謗中傷を繰り返すのだろうか。誹謗中傷で自殺やメンタル崩壊、精神的に追い込まれて競技どころか日常もまともに送れない選手だって存在する。自分の言葉が武器となり、心の奥底まで傷つける可能性があると想像できないのはなぜなのだろうか。
僕は決してその専門家ではない。ただ、今まで多くの子どもたちや大人の苦しんでいる姿に直面し、その度に正面から向き合ってきた経験がある。それと同時に、自分が実際に誹謗中傷の的になり、大量のアンチから攻撃を受けた経験もある。
そういう意味で言うと、決して過去形ではなく、今現在も僕のところには誹謗中傷が届く。だからこそ、そんな誹謗中傷を言いたくなる側の気持ちになって考えてもみたいと思う。
まず初めに、僕自身も体験談を書き、それを逆の立場から考察してみたい。僕は「40歳でJリーガーになる」と公言したのが、39歳の夏だ。当時(2017年)は、今よりも誹謗中傷に対する意識が希薄であり、取り締まりもされているような状況ではなかった。だから、たくさんの厳しいコメントがSNS上に散見された。
39歳で仕事を全て辞めて、年収1000万円を手放した。そして子どもの頃からの夢であったJリーガーに再挑戦したわけだ。これだけ聞いていると特に批判の余地がないように思えるのだが、それは僕や、僕の仲間の目線である。
少し俯瞰(ふかん)で見ると、そこには別の視点があり、それが誹謗中傷の種であった。もしこれが20代であれば誰も批判しなかったのではないかと思う。しかし、日本は年齢に対して異常なまでの反応を示す。それは学校社会や部活動の弊害とも言える。数カ月しか変わらないような少し上の先輩に理不尽な命令を受け、それを黙って受け入れなければいけない。しかもその先輩が何の努力もしないで、ただ横柄な態度だけ取ってくる者もいるわけだ。
そういったことも含めて、年齢に対するコンプレックスや固定観念が非常に強いと僕は考えている。「39歳で仕事を辞めて、Jリーガーを目指す」。これがもし「ホームレスからJリーガー」なら誹謗中傷より応援が増えた可能性があるが、当時の僕は年収1000万円、恵比寿のタワマンに住むビジネスマンからの転身だった。
これが鼻についたのだろう。年齢的には成功者もいるが、その何倍もの人が「我慢の上に対価」をもらっている。自分の好きなこともできず、上司のいうことに「はい」か「イエス」で答える毎日で、気がつけば上司の方が年下で、顎で使われる毎日だ。
全ては我慢。好きなことなんてできないし、週末になれば家族のためにするべきことがある。自分の時間なんて存在しない。存在するのは、会社の時間と少しの家族時間。テレビやSNSで出てくるキラキラしたものを疎ましく思う気持ちもこうやって考えると少しは理解ができる。だからと言って誹謗中傷をする、と言うところまでは行き着けないが…。
僕の場合は39歳で仕事を辞めて1000万円を捨て、実家に戻り、挙げ句の果てには練習費用がないからといってクラウドファンディングでお金を集め始めた。今、思えば、これは誰にでもできる方法だ。何一つ難しいことはない。仕事を辞めて実家に帰り、クラウドファンディングでお金を集めて毎日大好きなサッカーをする。誰にでもできることなんだ。
しかし、これがより一層の憎悪を生み出し、気がつけば、僕のSNSやネットニュースのコメント欄には汚い言葉を吐き捨てる人がたくさん増えた。でも、当時の僕は全く意に返さず、ひたすらJリーガーになることだけを考え、その毎日にワクワクしていた。
だからこれだけははっきりと言える。周りの目や他人の声が気になっているうちは本気ではないという証拠なんだ。そんな態度が余計に気に入らなかったのか、誹謗中傷は増すばかり。もちろんそこに応援の声もあるが、やはり目立つのは厳しい言葉だった。
人はなぜ誹謗中傷を繰り返すのか。そのひとつに僕は「嫉妬」があると感じている。それと同時に、常識や固定観念が「普通は」という言葉を生み出す。阿部詩選手への誹謗中傷にも根底にはその固定観念があると感じている。柔道界の常識や日本人たるものなど。人前で泣いて何が悪い。なぜあれを情けない姿だと言うのか。それは固定観念や自分の狭い世界観の中でしか物事を図れないからなんだ。
オリンピックは世界最大の競技大会だと思っている。だから柔道の誤審も「オリンピックでこれはあり得ない」という風になる。オリンピックは世界最大のスポーツイベントであり競技大会ではない。多様性を楽しみ、競技を通して文化交流をする。勝ち負けではなく、4年間という労力をわかり合っている者同士がたたえあうことが大切。そういう意味では阿部詩選手は競技に偏りすぎていたのかもしれないが、こういった空気全体を変えていく必要はあると思う。
サッカーを見ればわかるが、世界の国々は主力を出していないし、力も入れてない。出場国も全16ヵ国中アジアは3・5枠でヨーロッパが3枠。これを見ても世界一を決める大会ではないことが明らかだ。オリンピックへの固定観念も誹謗中傷の原因である。同時に、こうした「普通は」という言葉はある種、自分自身を認め、守るために必要な言葉ということだ。
40歳で夢をかなえる?40歳で好きなことをやる?40歳からJリーガーになる?冗談じゃない。俺は、私は、たくさんの我慢の上に成り立っているんだ。今まで自分の好きなことや言いたいことは我慢して従順に従ってきた。どんな理不尽なことも「はい」と「イエス」で受け入れてきたんだ。こんなやつに、40歳で夢をかなえられた日には自分が我慢してきたことが無駄になり、自分を否定されてるように感じてしまう。絶対にこんなおっさんの夢はコテンパンにして、夢なんてかなえさせてはいけない。そんなマインドになることがわかる気がする。
そんな人たちにとって給料は我慢の対価なんだ。自分という存在があるのかないのかわからない。家族の中でも同様に、その存在があるのかないのかわからない。唯一、自分の存在に反応してくれるのはSNSの中だけ。自分の意見に「いいね」をくれる人がたくさんいることに気がつく。要するに誹謗中傷をする人は承認欲求の塊であり、自分の存在を知ってほしいと同時に、それが日々の我慢から解放される手段なんだ。
しかし、実社会では言いたいことも好きなこともできないし、やれない。ただ匿名のSNS上では言いたいことを言える。そしてそこには賛同者がいる。でも、その賛同者は結局自分と同じ境遇の人たち。日々の我慢が今の自分を作っている人ばかり。そんな人の賛同を経て何が楽しいのだろうか?結局、誹謗中傷する人は誹謗中傷したいのではなく、そうすることで周りから認めてもらいたいだけなんだ。顔のない人が顔のない人から認めてもらう。
そんな世の中に未来なんてない。
無責任な人間が無責任な仲間を集め、必死に戦っている人の心をへし折っていくんだ。こんな世の中でいいはずがない。情報開示している時間ももったいない。自分の人生を生きよう。誰が何をどれだけ言おうが、誹謗中傷は無くならない。なぜなら、我慢を正義だと思い、我慢の上でしか働けない人がほとんどだからだ。
だから僕が思う。偽りの本気で戦いに出れば、あっという間に負けてしまう。偽るな、諦めるな、お前は誰だ。「NO」を突きつけられてから本当の戦いは始まる。「NO」を言われたくらいで諦めるなら、戦わなければいいし、そもそもその舞台に立つ資格がない。
世の中は甘くない。人が人を評価して物事が動く。だから諦めたらダメなんだ。人の心を動かすくらいの熱量がないなら、そもそもその本気は偽物だ。偽物の本気では人の心は動かない。他人の声に惑わされているうちは本気じゃないだけだ。
誹謗中傷はクソくらえだ。でも世の中からは無くならない。だからこそ、大好きなことに、やりたいことに声を出して挑むんだ。その瞬間が一番幸せなはずだから。
◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。22年2月16日にRISEでプロデビュー。プロ通算3勝1分け2敗。175センチ



