“プロレスリングマスター”武藤敬司(60)の引退の裏で、約28年間のプロレスラー生活に「ひっそり」とピリオドを打つ男がいる。NOSAWA論外、46歳。21日の武藤引退興行となる東京ドーム大会第5試合のタッグマッチで、自身率いる「東京愚連隊」の“パレハ”MAZADAと組み、新日本プロレスの石森太二、外道組とラストマッチで対戦する。
宣言は突然だった。昨年10月の福岡大会の試合直後。同6月に引退を発表した武藤と同日の大会で、現役生活に幕を下ろすことを電撃発表した。長年の全身のダメージが蓄積し、ドクターストップを受けた。身体だけではなく、心もむしばまれていた。
「(NOSAWA論外を)演じなくていいと思うとちょっとほっとしていたり、その半面、切ない感じでもある。ドームで引退できるレスラーは少ない。運がいい。プロレスの神様に感謝しないといけない」。会見では、いつにない神妙な面持ちで、率直な思いを打ち明けた。
公私ともにヒール(悪玉)だった。95年にデビュー。DDTの旗揚げメンバーとして参加。その後はメキシコやアメリカのマットを渡り歩き、00年にKIZUZAWAとともに「東京愚連隊」を結成した。10年には酒の飲みすぎで全日本の試合をばっくれて、無期限出場停止処分。11年には無免許でタクシーを乗り逃げし、窃盗の容疑で逮捕。12年には、乾燥大麻の密輸の疑いで逮捕(不起訴処分)された。全日本からも新日本からも“出禁”となった、唯一無二の問題児だった。
19年からノアに本格参戦すると、20年にはヒールユニット「ペロス・デル・マール・デ・ハポン」を結成。傍若無人な振る舞いで、嫌われ役となった。武藤の引退大会での引退には「本気な顔で『ずらせよ! 同じ日は嫌だよ』と言われた」と、レジェンドからも嫌われた。だが、プロレスにはヒールの存在は欠かせない。その存在は、選手からもファンからも認められていた。武藤には、その後の会食の際に「一緒に引退するか」と誘われ、引退の踏ん切りがついたという。
「ノアで最後を迎えられてよかった。引退ロード、セレモニー、10カウントもいらない。ひっそりとドームで引退して終わりたい」。メキシコで培った高難度の丸め込み技のように、派手ではなくとも、ずる賢くとも、NOSAWA論外が最後の3カウントを鳴らす。【勝部晃多】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける」)


