「レインメーカー」が金字塔を打ち立てた。IWGPヘビー級王者オカダ・カズチカ(30)が4日、挑戦者棚橋弘至(41)との「V11対決」を制し、歴代最多の12度目の防衛を果たした。

 決断力と実行力。プロレス界を変えると豪語した通りに突き進むオカダ。その姿は昔から全く変わらない。この日は愛知県の自宅でテレビ観戦し、「よかったです」と喜んだ母富子さん(57)は振り返る。

 「目と耳と口があれば行けるから」

 15歳。愛知・安城市の安祥中卒業を前に、プロレス団体「闘龍門」の入門試験が待つ大阪へ向かう時、息子はそう言った。同行しようとする母に言い切り、新幹線に乗り込んだ。

 「本人がね、やりたいといったらしょうがない。自分がこうだと思ったら行動力はすごい」と富子さん。プロレス界で生きると決めたのは家族には意外だった。周囲に関係者はいない。本人も格闘技経験はない。それでも兄が借りてきたゲームで見たプロレスに魅了された少年は「やりたい」と天啓に打たれた。

 小5の秋も同じだった。母の故郷長崎・五島列島。幼稚園のころから毎夏、親戚の家に2週間滞在し、その環境に魅了された。「行きたい、行きたい」。転校希望がかなったのは小5。電話で叔父夫婦に了解を得て、小学校の校長にも自ら意思を伝えた。10月、卒業までの1年半を親元から離れて暮らすと決めた。

 見送りの名古屋空港。母は予想を裏切られる。さすがに10歳。「寂しくなってやっぱり行かないと言うかと…」。ところが、搭乗口で「お母さん、バイバイ!」と駆けていった。「やっぱりな、と。自分がこうと思ったら振り向きもせず」。その島生活で体を動かす楽しさを学んだ。少年野球に、山も駆け回った。3メートルの高さから川にジャンプ。コーナーより高い位置から飛び技を繰り出した。

 それから5年後、闘龍門の面接に合格し、プロレス界への切符をつかみ取った。中学卒業後、練習拠点の神戸への旅立ちの時。例のごとく1人で行くと決めた息子は、新幹線の三河安城駅で2回だけ母の方を振り返った。富子さんは「五島に行く時に振り返らなくて寂しかったと言ったから」と笑顔で懐かしむ。そうして始まったプロレス道。目と耳と口で進んだ日々は、この日につながっていた。