平成維震軍を率いるサムライ、越中詩郎(60)の40周年記念大会が30日、後楽園ホールで行われた。

93年結成から26年、軍団に新たな戦力・真霜拳號(40=KAIENTAI DOJO)も加わり、平成生まれ5人を相手に大暴れ。プロレス界を駆け抜けたサムライは、元号が変わる新たな時代にも、大暴れを誓った。

「おし、いくぞ~!」。越中が、お尻をたたいて必殺技「ヒップアタック」を予告すると、超満員の会場が一気にヒートアップ。越中はコーナートップから、さらにエプロンから場外へと、何度もヒップアタックを繰り出した。かつて長州力に「あんな技、効かないよ」とやゆされたヒップアタックを磨き続けて40年。60歳になっても、越中は唯一無二の得意技で観客を喜ばせた。

「何とか仲間の力とファンのおかげで、40周年を終えられた。若いやつには、まだまだ負けないよ」と、笑顔で話した。93年、当時の新日本プロレス選手会に反旗を翻し結成した平成維震軍。斎藤彰俊、青柳政司、AKIRAの常連に、新たなメンバーが加わった。真霜の加入に「直感でこいつと思った。維震軍自体に新しい風を吹き込んでくれる」と期待を寄せた。

決して主役にはならなかった。新日本ジュニアでの高田延彦との抗争。ヘビー級に転向してからは、長州力やタイガー・ジェット・シンとも絡んだ。平成維震軍では、自主興行も行うなど注目されたが、その後は蝶野正洋率いるnWo人気に存在はかすんでいった。

それでも、年齢を重ねた脇役俳優が主役を食うほど輝くように、越中の存在感は増していった。60歳近くなっても、日々のランニングで鍛えた体力で、若手にひけを取らないプロレスを披露。この日も、試合開始早々に、ノアのGHCヘビー級王者清宮のドロップキックを仁王立ちで受け、ヒップアタックでなぎ倒した。

その侍魂を、若手の体に刻み込んだ。試合後のセレモニーでは、武藤敬司、長州力、天龍源一郎にお祝いの花束をもらった。武藤には「80歳までプロレスやりましょう」とハッパをかけられた。そんな励ましに照れながら「こんなに長く続いたチームもないと思うので、誇りにしながら今後も戦っていきたい」と最高の笑みを浮かべて言った。【桝田朗】

◆平成維震軍(へいせいいしんぐん) 92年に越中と小林邦明が、青柳政司の主宰する誠心会館自主興行に参加したことで、新日本プロレス選手会(蝶野正洋会長)と対立。越中は選手会を脱退し、小林、木村健吾、青柳、斎藤彰俊らと反選手会同盟を結成。93年に後藤達俊、小原道由、ザ・グレートカブキが加わり、平成維震軍と名前を変えた。名前の由来は「プロレス界を震撼(しんかん)させる活躍をする」(越中)という意味。発足当初は、全員が髪を剃り、そろいのはかまを履いて登場した。新日本本隊やタイガー・ジェット・シンらとの抗争で人気を博した。96年には野上彰(現AKIRA)が加わった。