各界のプロフェッショナルの子ども時代や競技との出会いなどに迫る「プロに聞く」。今回は大相撲の幕内力士、琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)が力士人生を振り返った。中学から親元を離れて相撲留学。7月場所で幕内通算勝利数も716に伸ばし、歴代単独6位となった関取最年長の大関経験者が、ジュニア世代にメッセージを送った。

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自宅の庭にある土俵が、琴奨菊の原点だ。小3で相撲を始めると1年後、相撲好きで熱心に応援してくれた祖父一男さんがつくってくれた。天候が良ければ1日2時間、四股やすり足で汗を流した。雨が降ったら土俵にブルーシートを敷いて土のうを置き、近所のグラウンドに移動。5キロ超のタイヤを引いて下半身を鍛えた。

「今と変わらず、相撲は生活の一部。放課後に友達と遊べないことが、ちょっとつらかったけど」。自宅での稽古に休みはなかった。休む場合は父一典さん(65)に「お伺い」を立てる必要があった。「『休ませてください』と言葉にするのも難しくて、ほとんど言ったことはないんですけどね」。角界入り後、当時通っていた小学校の担任教師は「(琴奨菊と同じ相撲大会に参加した)クラスのみんなは『毎日あれだけ稽古をやっている菊次君には勝てない』と言っていたぞ」と教えてくれた。それが印象に残っているという。

週に3回は、福岡・柳川市の自宅から車で1時間以上かかる久留米市の井上道場に通った。当時勝てなかった「県で一番強い宮崎君」がその道場にいたためだ。送り迎えは祖父がしてくれた。08年に76歳で亡くなったが「おじいちゃんが帰りにステーキをごちそうしてくれた。それがうれしかった」。支えてくれる家族を思うと「自分がここで逃げ出したらだめ」という気持ちが自然と湧いてきたという。

知人の勧めで中学校から高知の明徳義塾中に相撲留学した。全寮制で起床時間は6時ごろ。朝昼晩の先輩への給仕はもちろん、洗濯などの身支度は初めての経験だった。「生きる知恵は明徳の6年間で学んだ」。高知の山奥で遊ぶ場所はない。息抜きといえば、仲の良かった他の部活の同級生と、卓球で真剣勝負をすることだった。

アマチュアでは中学横綱、高校でも7タイトルを獲得した。相撲漬けの毎日だったが「苦しいとかつらいとか、あまり感じたことはなかった。『もっと強くなれるんじゃないか』というマインドの方が強かった」。在学中、福岡の両親に自ら連絡することはほとんどなかったという。「今思うとかなり気を使っていた。家族に心配をかけたくなくて」。36歳となった今でも、勝ち越した際や場所を終えた報告など、相撲に関する連絡が家族に対してはついつい遅れてしまう。「(連絡をするのは)身内が最後だと思っている。力士が終わったら、素直になれるのかな」。

高校を卒業して18年が経過した。7月場所前に同学年のライバル、元関脇豊ノ島(現井筒親方)が引退。気付けば関取最年長になった。同部屋では兄弟子の元大関琴光喜を追いかけ、同年代の力士には元横綱稀勢の里(現荒磯親方)や豊ノ島らがいたが、今はいない。「引っ張り上げてくれる人がいなくなって悩む時期もあった。今は自分が変わっていく過程が楽しくて、考えながら相撲の変化を楽しんでいる」。7月場所では、膝を伸ばした状態で手をつく新しい立ち合いで臨み、1年4カ月ぶりの勝ち越しを決めた。試行錯誤は続いている。

ジュニア世代の子に伝えたいことがある。「いつか負けちゃいけない場面が来る。相撲だけじゃなく、勉強や試験でここ一番が来る。今は負け続けてもいいので、そのときに備えてほしい」。16年初場所では、日本出身力士として10年ぶりの優勝を果たした。関取最年長の36歳は、現役へのこだわりを強く持っている。【佐藤礼征】

◆琴奨菊和弘(ことしょうぎく・かずひろ)本名・菊次(きくつぎ)一弘。1984年(昭59)1月30日、福岡県柳川市出身。小3から相撲を始め、高知・明徳義塾中で3年時に中学横綱。同高では国体など7タイトルを獲得した。02年初場所で初土俵を踏み、04年名古屋場所で新十両、05年初場所で新入幕。11年秋場所後に大関昇進。16年初場所で初優勝を果たす。17年春場所で関脇に陥落。三賞は殊勲賞が3回、技能賞が4回。181センチ、178キロ。得意は左四つ、寄り。血液型O。家族は夫人と1男。