大相撲の元大関琴奨菊が11月場所8日目の15日、引退を発表した。

琴奨菊は序ノ口から57場所かけて大関に昇進し、大関を32場所務めた。大関から陥落後、引退するまで22場所、土俵に立った。大関の座を失って4場所目、三役からも落ちて平幕となった3年前の秋場所中のこと。朝稽古後に「元大関が平幕で取るのはプライドが許さないのでは?」と聞いた。琴奨菊の答えはこうだった。

「そこを言い出したらきりがない。チャンスは全然ある。輝ける場所はある。地位で輝けることもある。違った輝きもある。応援してくれる人にしか分からないものもある。そこを伝えられたらいいな。つらい時に励ましてもらって、今度は私が励ます。勝ち負け以上の闘いがそこにあるから」

元大関が平幕や十両で現役を続けることに否定的な声も角界内にはある。だが、この返答を聞いてふに落ちた。

琴奨菊の父、菊次一典さんは、大関から陥落してから今までの日々についてこう話した。

「(出身地の)柳川の人、応援してくれた人のために続けた。周りの人の支えがあって、自分がある。そういうみんなのために、気持ちを保ち続けた。私も子どもから学ばせてもらいました」

応援があったおかげで大関になり、その後は、頑張る姿を見せることで周囲へ恩返しをした-。そんな意味だろうか。

大関から陥落直後、関脇で2桁勝利がかなわなくなった日、心配した師匠の佐渡ケ嶽親方(元関脇琴乃若)は、琴奨菊を呼んで話をしたという。3年前の秋場所中、同親方はこう明かしてくれた。「『35歳までやりたい』とはっきり言ってきた。じゃあ頑張れと。取れる以上は、もう引退しても大丈夫というくらい取らせてやりたい。自分は先代の定年が来て(部屋を継承するために)引退した。もっとやりたかったし、もっと稽古をやりたかったと思っている」。

琴ノ若は佐渡ケ嶽部屋を継ぐため、2005年九州場所中に引退を余儀なくされて涙を流した。弟子には思う存分、相撲を取らせてやりたかった。

琴奨菊は、師匠の分まで存分に戦い抜き、力尽きた。地元も、師弟も、納得できる散り際だった。【佐々木一郎】