大相撲の元大関2代目増位山で歌手としてもミリオンヒットを出した沢田昇(さわだ・のぼる)さんが、15日午後2時38分に肝不全で死去していた。沢田さんが所属する株式会社ゴールデンミュージックプロモーションが17日、発表した。東京都出身、76歳だった。芸能担当記者が故人をしのんだ。
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増位山太志郎さんを70歳の時にインタビューしています。
東京都中央区に生まれた増位山さん。本人の言葉でいえば「隣の家が芸者さんの見番(事務所)で、生まれた時からチンドンシャン♪だった。築地が近いし、友だちは魚河岸か芸者の子どもばかり」という環境でした。父親も歌が大好き。自宅に蓄音機があり、作詞家でもありました。絵も得意で二科展に何度も入選しています。「硬軟織り交ぜて相撲に強くなれ」。この教えは息子にもしっかりと引き継がれました。
増位山さんは小学校の時にギターやバイオリンを習い、コーラス部にも入っていました。同級生が遊びに来ても「僕は今日、バイオリンのお稽古だから遊べない」なんて言っていたそうです。「刀だって固い鋼と柔らかい鋼を合わせるから丈夫な刀ができる。剣一筋とか相撲一筋ではいつか折れちゃう」。増位山さんも歌や絵画などが得意な多趣味な人でしたが、これらは後に相撲にまい進する活力となりました。
歌手になる夢もありましたが、高校卒業時に力士になる道を選びました。「一般の人が歌手になるのは難しい。まして当時は今よりも一層困難だった。そして相撲も好きだったから」と話していました。
相撲協会を定年退職して、13年11月から本格的な歌手活動をスタートさせます。その時のキャッチコピーは「大相撲では大関止まりだったけど、歌では横綱を目指す」。歌への思いを聞くと「『上を目指す』というようなことではないんです。人の心に染みるようないい歌を、世の中の歌好きの皆さんに提供したいという思いだけ。本当にそれしか考えていないんです」。笑顔でそう明かしました。
男性にも女性にも優しい人でした。特に女性には紳士的です。「女性には優しくしないとだめだよ。獲物を捕まえたみたいな感じで女性に接してはいけない。優しさがあれば、もし別れるようなことになっても後からトラブルになったりしないと思うんだ」。死生観も聞きました。「夢があってね…。死ぬまで善を施すみたいな生き方をしたい。良いことをして死にたい。最後はね、『この世に生まれてきて良かったな』みたいな感じで死にたいんだ」と。
76年の生涯。多くの相撲ファンに愛され、音楽ファンを楽しませて心に残る歌を残して旅立ちました。【松本久】

