大相撲の元大関若嶋津で元二所ノ関親方の日高六男(ひだか・むつお)さんが15日、肺炎のため千葉県内の病院で死去した。69歳。鹿児島県出身。「南海の黒ヒョウ」の愛称で親しまれ、2度の幕内優勝を果たした。アイドル歌手の高田みづえさんとの結婚も話題となった。親方として、小結松鳳山ら7人の関取を育てた。
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1983年初場所から相撲記者になった。場所前、初めて取材した力士が新大関若島津(当時)だった。猛稽古で知られた二子山部屋へ、恐る恐る入ったのを思い出す。ピーンと張りつめた空気の中、湯気を出して稽古していた。稽古後あいさつすると「新人? よろしくね」と気さくに答えてくれ、緊張がほぐれた。同学年でもあり、親近感がわいた。
師匠は「土俵の鬼」といわれた元横綱若乃花の二子山親方。「相手を殺す気で行け」「土俵のケガは土俵で治せ」などと怒声を響かせた。そんな中で一番の稽古量を誇った。ある夏のこと。出稽古にきた関脇大乃国と三番稽古となった。その数はなんと100番を大きく超えていた。今の角界では想像もできないだろう。
2度優勝も横綱の夢はかなわなかった。千代の富士の全盛時代、小錦、双羽黒ら大型力士に突き上げられた。俗に言う運動神経がよくしぶとかったが、当時平均体重が約150キロも最大でも120キロ台という軽量に泣いた。
九州男児で言葉少なも、引退して独立後、よく声をかけられるようになった。そのうち食事にも誘われた。他紙の評論家だったが、場所中に本紙取材班のためだけに、部屋でのちゃんこに招いてくれ、夫妻で歓待してくれた。
師匠の二子山親方は本紙評論家だった。そのため現役時から本紙を愛読してくれていた。「相撲と言えば、日刊だから」とお褒めの言葉をもらったことも。高田みづえさんと縁結びしたのは本紙。同じ鹿児島出身で以前から「理想の女性」に挙げていた。81年に初対面して紙面で対談。その4年後に結婚となった。
大ちゃんの朝潮、北海の白熊の北天佑、ペコちゃんの琴風が、同世代で大関を張った。大関、優勝、横綱を争ったライバルで、巡業で立ち話する程度の仲。今と違って親しくするのはご法度とも言えた。その4人が引退後は子供も含めた家族ぐるみで付き合っていた。何かあると、声をかけたのは南海の黒ヒョウと言われた若嶋津だった。
二所ノ関部屋で一門の連合稽古や記者会見があると、なぜか記者の数が多かった気がする。取材後にちゃんこをふるまったからか。優しい気遣いの人だったが、これが逆に横綱へ届かなかった理由なのかもしれない。【日刊スポーツOB河合香】

