エリザベス女王(96)がただ1度の来日をしたのは75年の5月だ。パレードでは日英の旗が振られ、女王夫妻はオープンカーの後部席で立ち上がって手を振った。無防備にも見えたし、当時高3で受験勉強を控えた身には、ピンクのドレス姿の49歳の女王がまぶしかった。ピンク色をこんなに上品に着こなす人がいるのだと、それが一番の驚きだった。

沿道には鉄柵が並べられ、メートル単位で警察官が並んだ。その警備を事前に見た女王が「これは誰のためですか」とまるでひとごとのように質問するのを情報番組か何かで見た記憶がある。こんな警備は不要と言いたいのだろう。25歳で即位して以来の覚悟のようなものが感じられた。

その7年後にはバッキンガム宮殿に同じ男が2度にわたって侵入。2度目は女王の寝室にまで入り込んだ。女王のファンを自称する侵入犯はタブロイド紙の取材に「女王はあまり怖がっていませんでした。ベッドサイドの電話で連絡した後、『ちょっと待っていてください。誰か連れてきます』と冷静に部屋を出て行きました」と話している。世界一有名な女性は肝の据わり方が違うのだ。

在位70年のさまざまな姿をコラージュのように見せてくれるのがドキュメンタリー映画「エリザベス 女王陛下のほほ笑み」(ロジャー・ミッシェル監督、6月17日公開)だ。

厳かな戴冠式、チャーチルから始まる歴代首相とのやりとり、夫エディンバラ公との若き日のラブラブな雰囲気、大好きな競馬でひいきの馬が勝ったときの大喜びの様子など、とっておきのエピソードが時系列を外してさみだれ式に紹介される。

印象に残ったのは思い出のこもったロイヤル・ヨット「ブリタニア号」の勇退に立ち会った時の涙だ。決して泣かない女王がそっと左手を目尻に当てる。

そして、ダイアナ妃の死で王室が非難の的となった時に、テレビカメラの前に座った一分の隙も無い威厳は何なのだろう。ヘレン・ミレンが主演した「クィーン」(06年)がこの前後の事情を詳しく再現しているが、危機に立たされた英王室を守るため、対立構図になっていたダイアナ妃と王室の両者を立てる針の穴を通すような言葉遣いとその抑揚に改めて感服する。

王冠の重み、そしてその実際の重量をユーモラスに語るところも女王らしい。「じっと前を見ているのは少しでも下を向けば首が折れてしまうから」。この何分か前のパートで紹介された戴冠式のややこわばった顔が頭に浮かび、思わず笑ってしまう。

これほど濃密で重たい人生を送る人は他にいないだろうが、度重なる重圧の中で常に前を見続ける姿勢が印象的だ。【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)

「エリザベス 女王陛下のほほ笑み」の一場面(C)Elizabeth Productions Limited 2021
「エリザベス 女王陛下のほほ笑み」の一場面(C)Elizabeth Productions Limited 2021