佐村河内守氏(51)のゴーストライターだった作曲家新垣隆氏(44)が、初著書「音楽という<真実>」(小学館)を17日に出版する。半生を紹介しながら、大半のページを費やして騒動の内幕や当時の心境を率直につづっている。同氏は執筆の動機について、自分の生きざまを反面教師にしてほしかったと明かした。

 「音楽という<真実>」は、全7章で構成されている。第2章までに「ベートーベンになりたかった」という幼少期や学生時代の思い出やエピソードがつづられているが、第3章以降は佐村河内氏の出会いから始まるゴーストライター騒動の裏側や当時の心境を飾らない言葉で克明に記している。2回目の依頼を受けた時の気持ちを「ここで断るべきだったのでしょうか」と後悔の気持ちで振り返っている。

 また、出会ってまもないころ、広島出身の佐村河内氏と新幹線で移動中に、同郷の友人と広島弁で会話する様子を見て「関東生まれの私には、これが怖いんです。『仁義なき戦い』の菅原文太や千葉真一を間近に見る思いでした」と萎縮する気持ちがあったことも明かしている。「なぜあのような極端なところまでいってしまったのか、もう1度たどっていくことで自分なりに再認識できました」。

 「反省」の気持ちが執筆の大きな動機となった。「1人でも多くの方に読んでいただきたいと、非常に強く思っています。騒動に興味を持っていただいている方はもちろんですが、小中学生にも手に取っていただきたい。こういうことをすると、やはりケガをするわけで、1回うそをつくと、そのままずっといってしまう。気を付けてほしい。『こうなっちゃダメだよ、ケガしちゃうからね』と伝えたい」。

 佐村河内氏を一方的に批判するスタンスはとっておらず、自分の非を認めている。「1つ1つのやりとりはあきれ返ること以外の何物でもないのですが、彼なりの思うところがあったのだと思います。私も私で、彼に対してずるく駆け引きしていた部分があったんです」。

 現在は全国ツアー中で「食べる、寝る以外は基本的に音楽にあてています」。10曲以上の制作にも追われている。仕事量は騒動以前の数倍以上で「依頼を受けては、ホイホイとやっている。そういう面では私自身の本質は(騒動前と)変わっていないのかもしれないですね」と苦笑いする。

 謙虚な姿勢を貫きながらも、同じような過ちをしてほしくないという願いが込められている。【横山慧】

 ◆新垣隆(にいがき・たかし)1970年(昭45)9月1日、東京都生まれ。4歳からピアノを始める。千葉県立幕張西高音楽科を卒業後、89年桐朋学園大音楽学部作曲科に入学。在学中に作曲家グループ「冬の劇場」に参加。昨年3月に同大非常勤講師を退任。現在は作曲家、演奏家として活動中。

 ◆ゴーストライター騒動 聴覚障害があるとした佐村河内氏の楽曲を、新垣氏が作曲していたと昨年2月6日発売の「週刊文春」が報道。同日、新垣氏が会見して18年間にわたりゴーストライターだったと釈明。「耳が聞こえてないと感じたことは1度もない」と証言した。同7日に広島市が佐村河内氏に授与した「広島市民賞」を取り消し、所属レコード会社は全CDの出荷を停止。佐村河内氏は同12日に謝罪書面を報道各社に送った後、3月7日に都内のホテルで謝罪会見を開いて「自分は感音性難聴」と主張した。