田原俊彦を初めて取材したのは今から10年ほど前、2010年(平22)10月初めのこと。「逆境を生きる」をテーマに各界の著名人にインタビューする企画だった。

取材で、田原俊彦は「今の僕は、ヒット曲もないし、かつてみたいな人気もありません。それは認めます」と言った。テレビで姿を見ることも、ヒットチャートで歌声を聴くこともなくなって、ずいぶん長い時間がたっていた。80年代、日本の芸能界で頂点を極めたスターの今としては、寂しいものだった。だが「世間が逆境にあると思うのは勝手だけど、僕自身はそう思ってはいません」と強く反論した。

表舞台から消えたのは大きな事務所から独立して、圧力みたいなものもあったのでは、と聞くと「僕に力がないだけです。自分の責任で生きたいと思って独立したのだから、どんなに苦しくても後悔はしない」と言って、「世の中の人たちに見てもらう機会がないから、小さいハコでやるしかないだけで、歌もダンスも進化しています」と胸を張った。

そんな言葉が、強がりに聞こえなかったのは、事務所から「取材の前に、今の田原を見てほしい」と誘われて、東京・新木場のライブ会場で、そのステージを見ていたからだ。

「哀愁でいと」前奏の最初の1音で、会場は彼がデビューした1980年に引き戻された。足を高く蹴上げて、3回転ターンを鮮やかに決める。1980年の田原俊彦を、2010年の田原俊彦が、生々しく、鮮やかに再現してみせる。同時代を生きた者は、これらの歌が街に流れていたころの自分や、社会の空気を追体験したに違いない。耳慣れない最近の曲も、初めて聴いたこの日の記憶として深く刻まれたはずだ。とにかく、圧倒的なステージングで、観客を魅了した2時間だった。

「懐メロ」歌手として、往年のヒット曲でオールドファンを楽しませて生きる人生もあっただろう。しかし、世間が忘れても田原俊彦は爪を研ぎ、現役の第一線で勝負をかけるエンターテイナーとしてステージに立つ道を選んだ。「今の田原を見て」と、事務所に誘われた意味を思い知った。

取材で田原俊彦は「年に1枚、必ず新曲を出し続けています。ほとんど売れませんが。それでも次は必ずヒットすると信じてる。信じて続けることが大事なんです」と話した。無関心な人、離れていった人、笑っている人をもう1度、振り向かせてみせる。そして再び、エンターテインメント界の頂点に立ってみせるのだ、と。

2月27日夜、NHKBSプレミアムで放送された「田原俊彦“還暦前夜!”スペシャルワンマンライブ」は、80年代のヒット曲を中心に17曲を歌い、踊り、これまでとこれからについて語った。デビュー42年、還暦を迎えてなお、超1級のシンガー、ダンサーとして円熟をにじませながら「進化」する田原俊彦の現在地を知る89分。NHKオンデマンド見逃し配信あり。6日午後9時からはBS4Kでも放送する。見逃した人はこの機会にぜひ。すでに見た人ももう1度。田原俊彦の歌と踊り、そして生き方が必ず、あなたの目と耳と心もつかんで離さないはずだ。