歌舞伎の人間国宝で、ドラマ「鬼平犯科帳」シリーズでも知られる中村吉右衛門(なかむら・きちえもん)さん(本名波野辰次郎=なみの・たつじろう)が11月28日午後6時43分、心不全のため都内病院で亡くなった。77歳。今年3月28日に心臓発作を起こし入院、治療を続けていた。葬儀、告別式は親族葬で執り行う。兄は松本白鸚、おいは松本幸四郎、四女の夫は尾上菊之助。

【家系図】中村吉右衛門さん家系図 兄は松本白鸚、おいは松本幸四郎、めいは松たか子、四女の夫は尾上菊之助>

「じじバカでございます」。人間国宝で、平成、令和の歌舞伎界を牽引(けんいん)した、芸に厳しい吉右衛門さんも、孫の丑之助の話題になると表情が緩んだ。

4人の子供はすべて女の子。四女と尾上菊之助の間に生まれた孫の丑之助を溺愛した。初代吉右衛門の芸を継承する「秀山祭」公演を前にした懇談会では、孫のいとおしさを喜々と話す「じいじい」の姿があった。

4歳で初舞台を踏み、22歳で祖父の初代吉右衛門の名跡を継承したが、その道は平坦ではなかった。ある新聞の自伝連載で「ガス管をくわえたことがありました」と衝撃告白をしたこともあった。名優だった初代との芸の差に悩み、精神的に追い詰められた時期のことで、精神安定剤をジンで飲み、吐血して救急車で運ばれたこともあった。「若気の至りです」と笑って振り返る吉右衛門さんを支えたのが、30歳の時に結婚した知佐夫人だった。

在学中の慶大を結婚と同時に中退。以降、夫を支え、暗く、内向的だった吉右衛門さんも変わっていった。絵が趣味で、年賀状には自ら描いた絵を添えた。16歳で運転免許を取った車好きで、ドライブが息抜きだった。ディズニーのキャラ「くまのプーさん」の大ファンで、家にはプーさん人形を飾った。「舞台に上がると元気になる。逆に休みの日はダメ」という吉右衛門さんにとって、コロナ禍で半年も舞台から遠ざかったことは精神的にも肉体的にもつらかったに違いない。

「役者が天職」という吉右衛門さんの「80歳で『勧進帳』の弁慶を演じ、丑之助と共演したい」という夢は、残り3年でかなわなかった。【林尚之】

松本白鸚「とても悲しい。たった1人の弟ですから」中村吉右衛門さん追悼>