「漫画トリオ」やテレビ・ラジオの司会者として一時代を築いた元タレント、上岡龍太郎さんが5月19日に大阪府内の病院で、肺がんと間質性肺炎のため亡くなっていた。00年に芸能界引退後の窓口となっていた米朝事務所が2日、発表した。81歳。

本人の意向もあって、ごく限られた身内での密葬は既に行われた。お別れの会なども本人が固辞していたという。

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惜しまれながらの引退から23年。関西の芸能界で一時代を築き、1990年代には東京発全国ネットの番組にも多数出演した上岡さんが、永遠の旅に出た。

長男で映画監督の小林聖太郎(しょうたろう)氏(52)は「お世話になった方々にも突然のお知らせとなってしまったことを深くおわびいたします」とコメントを発表した。

聖太郎氏は「昨年秋ごろ、積極的治療の術がなく本人も延命を求めていない、と知らされた時に少しは覚悟しておりましたが、あれよあれよという急展開で母も私もまだ気持ちが追いついていない状態です」と心情を吐露した。

上岡さんは高校生の頃、大流行したロカビリー音楽に魅せられ、歌手を志望するが、歌のテストで無理だと判断。「司会なら」と京都や大阪でジャズ喫茶の司会を務めていた浜村淳に弟子入り志願するも断られ、バンドボーイに。ちょうどコンビを解散し、パートナーを探していた故横山ノックさんに声をかけられ、横山パンチの名前で漫画トリオ結成。1960年だった。のちに「横山やすし・西川きよし」で人気者となるやすしさんは当時、ノックさんの弟子を務め、漫画トリオの世話をしていた。

ノック、フック、パンチによるテンポのよい掛け合いやリズミカルな動き、「パンパカパーン、今週のハイライト」のフレーズで知られる時事漫才、おしゃれなBGMもあって、すぐに売れっ子となった。

その後、初代フックさんが抜けたが、63年に2代目となる青芝フックが参加。舞台、テレビ、ラジオと多忙をきわめた漫画トリオだったが、68年にノックさんが参院選出馬を表明し、トリオは活動停止。パンチは「上岡龍太郎」として再スタートする。主にテレビ、ラジオの司会として活躍。しゃべりの中に知性・知識もあり、時には毒舌も吐くスタイルは人気を集めた。

参院議員となったノックさんとは、その後も「ラブアタック!」「ノックは無用!」など、コンビで仕事をすることが多かった。天性のボケ(ノック)と、それを生かす破壊力抜群のツッコミ(上岡)は、大阪のテレビ界を代表する顔でもあった。

「鶴瓶上岡パペポTV」(読売テレビ、87年放送スタート)、「探偵!ナイトスクープ」(ABCテレビ、同88年)で、人気はさらにブレーク。以後、東京のテレビからも出演依頼が急増した。

仕事以外では、阪神タイガースを愛し、マラソンとゴルフに熱中した。満員の甲子園でスタンド一丸となって「掛布、打ってくれ!」と念を送ったにもかかわらず、凡打したことで、精神論は信じない主義をさらに強固にした。

2000年4月の芸能界引退後は、ほとんど表舞台には出ず。07年5月に亡くなった盟友ノックさんを送る会(6月7日)では久々に人前に出て、現役時代と変わらぬ滑舌で感動的なメッセージを読み上げた。

引退後も桂米朝さんら敬愛する芸人の葬儀には顔を出し、長男聖太郎氏が監督した映画が京都国際映画祭で上映されると、客席で鑑賞する姿も見られた。

◆上岡龍太郎(かみおか・りゅうたろう)1942年(昭17)3月20日、京都市出身。父親は高知出身で、京都で弁護士の仕事をしていた。ジャズ喫茶の司会を経て60年、横山ノックさんに誘われ、漫画トリオとして漫才デビュー。アイビールックやタキシードを着て舞台に立った。68年、ノックさんの参院選立候補でトリオ解散。ピン芸人としてテレビ・ラジオに出演。「鶴瓶上岡パペポTV」「探偵!ナイトスクープ」「ノックは無用!」など出演作多数を抱えたまま、芸歴40年の00年に電撃引退した。