和製ウェークフィールドだ。広島育成ドラフト4位の中部学院大・坂田怜投手(22=正智深谷)が20日、岐阜県関市内の同大学で指名あいさつを受けた。本格派投手として成長していた20年春に不慮の病で心臓を手術。復帰後、持ち味を取り戻せず、ナックルボーラーに転身。日本球界ではまれな存在ともいえる“魔球”の使い手として、プロの世界に飛び込む。

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撮影用に手渡された白球に、自然に人さし指と中指を立てた。速球派がもてはやされる時代の流れに逆らうように、広島から育成ドラフト4位で指名された坂田は、ナックルボールの使い手としてプロの扉を開いた。

「“ナックルボーラーは日本で成功しない”とよく言われますが、覆せるようにやっていきたい」

もともとはダルビッシュや大谷など、剛速球を投げ込む投手にあこがれる本格派だった。中部学院大入学後に188センチ、90キロの恵まれた体格を生かした投球を身に付け、最速143キロ右腕に成長。リーグ戦初登板完封勝利など、結果も残していた。だが、昨年春に「バルサルバ洞動脈瘤(りゅう)破裂」により、心臓を手術。野球を続けることに問題はなかったが、開胸手術で胸骨を切った影響もあり、上半身の柔軟性を生かした動きができず、球速は10キロ以上も落ちた。思うように投げられない日々を半年過ごしたころ、原監督からの助言を受けて、転身を決意した。

ナックルボーラーは、米大リーグでは12年にサイヤング賞受賞のR・A・ディッキーらがいたが、日本球界ではまれなタイプ。米大リーグ通算200勝のウェークフィールドの映像を道筋とした。「握りもそうですし、試合の中で(ナックルを生かす)ストレートの使い方。それに立ち居振る舞いも見ながら(自分と重ねて)イメージトレーニングしています」。上半身のひねる動作が小さいことも幸いした。試行錯誤を重ね、揺れながら落ちるようになった“魔球”は投球の約8割を占める。

19年秋以降、リーグ戦での登板は今秋の1試合のみ。それでも、ひそかにナックルボーラー育成プランを描いていた広島の目に留まった。菊池涼や西川らを発掘していた松本スカウトは「投げるたびにコントロールが良くなり、落差も出てきた。あれだけ背が高いので、角度もある。プロで野球漬けの日々で、もっと良くなると思う」と可能性に期待を寄せる。

育成契約からスターへはい上がった選手は過去にいる。ただ、ナックルボーラーとして育成契約からはい上がった選手は、まだいない。それでも迷いはない。「挑戦することは好き。ナックルで打者を惑わし、将来はウェークフィールドのようなチームに勝ちをつけられる投手になりたい」。扉の先が未踏の道であっても、坂田の瞳は希望に満ちている。【前原淳】

◆坂田怜(さかた・れい)1999年(平11)9月13日生まれ、埼玉県熊谷市出身。小学1年からソフトボールを始め、中学では熊谷シニアに所属。中学までは内野手で、正智深谷進学後、投手となった。中部学院大入学後、130キロ台だった球速は最速143キロを計測。20年春に「バルサルバ洞動脈瘤(りゅう)破裂」と診断され、心臓を手術。今年2月に本格的にナックルボーラーに転向した。188センチ、90キロ。右投げ右打ち。

<ナックルボール・アラカルト>

◆投げ方 親指と小指でボールをはさんで他の指を突き立てるように握り、ボールを指ではじくように投げる。突き立てる指の数や指を縫い目にかける、かけないなどさまざまなバリエーションがある。

◆軌道 ほとんど回転がかからず、揺れるように落ちる。打者はもちろん、捕手も予想のつかない変化をするため「魔球」と呼ばれる。球速は100キロ前後。

◆利点 技術を習得できれば、ひじに負担が少ない投げ方で、力や体力はそれほどいらないため、故障に強く投手寿命が長い。米大リーグでは、名ナックルボーラーたちは30代後半に絶頂期を迎えている。

◆使い手 米大リーグでは2人合わせて539勝を挙げたニークロ兄弟や、近年ではウェークフィールドやR・A・ディッキーらがいる。日本では89~07年にロッテなどで活躍した前田幸長らが使った。外国人投手では07年広島のフェルナンデスらがいる。

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