1990年2月11日、東京ドームで無敵王者タイソンがリングに沈んだ。中継した日本テレビの視聴率は日曜日の昼間にもかかわらず、38・3%(ビデオリサーチ調べ)を記録。タイソンがKOされた午後1時7分は、実に51・9%の瞬間最高視聴率をマークした。試合は米国をはじめ世界31カ国にも中継されていた。『世紀の大番狂わせ』は世界中の人々が目撃した。

リングを下りたタイソンは、1時間も控室にこもった後、ノーコメントでホテルに引き揚げた。ちょうどその頃、プロモーターのドン・キングが立会人室に怒鳴り込んでいた。「マイクは負けていない。先にキャンバスに10秒以上倒れていたのはダグラスの方だ」と甲高い声で強行に訴えた。そこから事態は急展開する。午後3時すぎ「ダグラスのダウンについて調査中」との中間報告が報道陣に伝えられた。

確かに8回にダグラスがダウンしてから試合が続行されるまで、少し時間が長いとは思った。しかし、過去の世界戦でもロングカウントはあったし、試合を公認する権限を持つ日本ボクシングコミッション(JBC)の小島茂事務局長も「試合は成立した」と断言していた。何よりも世界中がタイソンの“KO負け”を目撃しているのだ。多少カウントが長かったとしても、それが結果に影響するとは私はこの時点では考えていなかった。

JBC幹部とWBAのヒルベルト・メンドサ会長、WBCのホセ・スレイマン会長ら首脳による、ビデオ分析会議は午後4時から2時間に及んだ。そして、午後7時、会見で実際にビデオを流して、検証結果が発表された。

レフェリーのオクタビオ・メイラン(メキシコ)は、ダグラスのダウンを宣告した後、タイソンをニュートラルコーナーに誘導した。その間、リング下のタイムキーパーはカウント3まで数えた。本来ならレフェリーが4から引き継ぐが、メイランは1から数え直していた。さらにカウント7でダグラスが立ち上がりかけると、カウント8で数えるのをやめて、ゆっくり起き上がる挑戦者を待って、ファイティングポーズを取らせた。ダウンの宣告から14秒以上も経過していた。

世界戦ではレフェリーの権限は絶対で、1度下された結果が覆ることはない。ところが会見でメイラン自身が「ダグラスは10秒以上倒れていた」とはっきりと自分の非を認めてしまった。これを受けてWBAのメンドサ会長は「特別委員会を開き、1週間から10日後に結論を出す」とし、WBCのスレイマン会長も「20日の理事会で最終決定を出す」とコメントした。JBCの小島事務局長も「試合は成立しているが、レフェリーのミスは明らか。WBAとWBCが最終決定する」。前代未聞の『勝負保留』が決まった。

この発表を聞きながら、私はもしタイソンとダグラスの立場が逆だったら、再調査などなかったはずだと思った。

ダグラス戦で900万ドル(当時のレートで約13億5000万円)の報酬を手にしたタイソンは、すでに6月18日に米アトランティックシティーで、イベンダー・ホリフィールド(米国)との注目の不敗対決が決定していた。後に大統領になる不動産王ドナルド・トランプが、建設中の巨大カジノ、タージ・マハールのこけら落として誘致した一戦でもあった。その後には世界ツアーも計画されていた。勝負保留の発表は、タイソンというカネのなる木に群がる人たちの思惑が絡んだ、何か大きな力が働いているように思えた。

会見にはホテルから戻ってきたタイソンも出席した。8回の挑戦者のダウンについて「時間が長かったと思う。フェアな結果を求める」と言葉少なに答えたが、自身がKOされたことについては「失うことは何であれきつい。でもまたやり直すことはできる。それができる人間が本当に強い人間なんだ」と認めた。そして「誰も僕には勝てないと思っている」と付け加えることも忘れなかった。

試合前の公式会見とは別人のように、タイソンは厳しい質問にも穏やかに率直な心境を語った。これが最強王者の素顔なのかもしれないと私は思った。

翌2月12日、帰国するタイソン一行を見送るため成田空港に出向いた。私はベルトを失った元王者の憔悴(しょうすい)した顔を思い浮かべ、取材を拒否されるかもしれないと思った。正直、気が重かった。しかし、出発ロビーに現れたタイソンの表情は、想像とはまるで違ったものだった。【首藤正徳】

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8回、タイソンの右アッパーを浴びダウンするジェームス・ダグラス(1990年2月11日)
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