2回終了後、赤コーナーのタイソン陣営から、いら立ちの声が聞こえてきた。「もっとジャブを使え」「約束事ができていない」「フォーメーションが違うぞ」。1990年2月11日、東京ドームでの統一世界ヘビー級タイトルマッチ。タイソンは1回から動きが重く、連打がでない。2回には挑戦者ジェームス・ダグラスの強烈な右ストレートと右アッパーを浴びて防戦一方になった。まだ2回を終えたばかりだが、想定外の劣勢に、早くも王者のセコンドは混乱していた。
3回開始からタイソンが強引に前に出た。30秒すぎ、突進して右強打を振り回した瞬間、挑戦者のやりのような右ストレートが顔面を痛打した。タイソンの膝がグラリと揺れた。鉄人と言われる男が自ら挑戦者の体にしがみつき、クリンチで急場をしのいだ。攻防一体となった精密機械のような動きも、身上のスピードも、パンチの切れもない。タイソンがただの凡庸なボクサーに見えてきた。
序盤を終えて、ダグラスの作戦がおぼろげながら見えてきた。強い左ジャブでタイソンの侵入を防ぎ、頭を低くして飛び込んでくるタイミングで、下から右アッパーを突き上げる。この右アッパーが強烈で、王者の顔面と腹を何度もえぐり上げた。試合前の練習ではほとんど見せなかったパンチだった。1週間前、精彩を欠いたスパーリング後、ダグラスが「あえて手の内を見せなかったのさ。タイソンにはKOで勝つ。オレには秘密兵器がある」と語っていたのを思い出した。
4回は終了間際に左フックでダグラスをロープに後退させたのが王者の唯一の見せ場。5回にはタイソンの左まぶたが大きく腫れ上がってきた。1分10秒すぎ、左ストレートからワンツーの3連打に、アゴをはね上げられて、棒立ちになった。左目がふさがり、挑戦者の右からのパンチが見えていない。あのタイソンが負けてしまうのではないか。この回を境にそんな不穏な空気が東京ドームに漂い始めた。
1月16日の来日以来、タイソンは明らかに練習不足だった。2年前からスパーリングの回数は半減。心拍数を限界まで追い込むこともなかった。私が最も奇異に感じたのは、1度もサンドバッグを打たなかったことだった。パンチの手応え、連打の感覚を体に染み込ませるボクサーにとって重要な練習をメニューから外していた。タイソンも陣営もこの試合をどこか甘くみていた。そのツケを今、リングで払っているのではないか。リングサイドで私はそんなことを考えた。
6回も流れは変わらなかった。7回に入るとダグラスが戦略を転換した。無理に打ち合わず、フットワークを使って左ジャブを突くアウトボクシングに切り替えたのだ。後半を安全運転でしのげば判定で勝てると踏んだのだろう。ただ彼の接近戦での右アッパーは効果的だったし、戦略の変更はいい流れを自ら断ち切ってしまう危険性もある。この日のタイソンは確かに体に切れがなく、動きも重かったが、私は挑戦者が判定を意識するのはまだ早いような気がした。
7回終了後、タイソン陣営から「もっと自信を持つんだ」「お前はチャンピオンだ」という声が聞こえてきた。もはや技術や動きの修正指示ではなく、ひたすら叱咤(しった)激励。敗色濃いボクサーのセコンドの常とう句。これまでリングサイドで何度も見てきたシーンだった。本来の出来とはほど遠く、左目もふさがり、パンチを浴び続けたダメージも深い。もはや“ラッキーパンチ”以外に、タイソンの勝機はないように思えた。
直後の8回、タイソンの剛腕がついに火を噴いた。これまでの負債をすべて一括返済するような起死回生の一撃だった。それがラッキーパンチだったか、狙ったものかは分からないが、これで試合が終わったと確信させる破壊力だった。しかし、それは、誰も想像していない、前代未聞の大混乱の始まりだった。【首藤正徳】