決戦まで1週間を切って、タイソンにようやく「らしさ」が戻ってきた。1990年2月5日、東京・後楽園の特設ジムで2日ぶりに練習を再開。スパーリングでは元WBC王者のトレーバー・バービック(米国)を開始からパワフルな連打で圧倒した。最終4回に強烈なボディーブローを脇腹に食らって戦意喪失したバービックは「最後のパンチは見えなかった。すごいパワーだ」と顔をしかめて言った。

訪れた小錦八十吉(左から2人目)と笑顔を見せるマイク・タイソン。右はプロモーターのドン・キング氏(1990年1月27日)
訪れた小錦八十吉(左から2人目)と笑顔を見せるマイク・タイソン。右はプロモーターのドン・キング氏(1990年1月27日)

翌6日も左右の速射砲でバービックを終始ロープにくぎ付けにした。「これまでのスパーリングで一番出来がいい。連打が出るのはスピードが戻ってきた証拠」と、元WBC世界スーパーライト級王者の浜田剛史氏も少し安堵(あんど)したような表情を見せた。ただスパーリングの相手が、タイソンをダウンさせたペイジから、バービックに変更されたことが私は少し気になった。バービックはタイソンが2回TKOで最初に世界王座を奪った相手。相性は悪くないし、ペイジよりも不器用でスピードにも欠けていた。調子が上がらない王者に合わせて、レベルを下げたようにも思えた。

復調のきざしが見えた直後、新たな問題が発覚した。7日の午前中に行われた海外記者団の取材で、タイソンが深刻なホームシックにかかっていることが判明した。「もうホテルに閉じこもっているのはうんざりだ。1日も早くアメリカに帰りたい」と、ふさぎ込むように吐露したという。「かなりの重症だよ」と取材した記者は語った。帰国予定は試合翌日の12日だが、プロモーターの帝拳ジムの本田明彦会長は「11日の試合後、そのまま帰国するかもしれない」と話した。

来日から3週間がすぎていた。ホテルとジムの往復の日々は確かに退屈極まりない。しかし、タイソンはマネジャーやトレーナーに加えて、気心の知れた幼なじみまで総勢約50人を日本に同行させていた。ロビン夫人とは1年前に離婚して、米国に家族はいない。「新たな恋人はできたか」の問いに「できていたら日本に連れてきているさ」とも語っていた。いったいどこに帰るというのだ。ひょっとするとタイソンは試合をしたくないのではないか。負けることへの恐怖心が、ホームシックという形になって表れているのではないか。私はそんな気がしてならなかった。

「どんなボクサーでも試合前は恐怖に襲われる。その恐怖を克服すれば、友人にすることができる。カスは毎晩、毎晩、話してくれた」とタイソン自身が米イラストレーテッド誌に語っていたのを思い出した。アマチュア時代は恐怖に耐えきれず、試合前に泣きだしたこともあった。もともと人一倍傷つきやすく、ナイーブな青年だった。

12歳でニューヨーク州のトライオン少年院に収監されたタイソンは、13歳のときに同州キャッツキルでボクシングジムを経営する名伯楽カス・ダマトに引き取られ、他の青年たちとともに共同生活を送った。生まれて初めて過ごした幸福で平和な時間だった。父の顔を知らないタイソンにとってダマトは父親でもあった。そのダマトがタイソンに教えたのはボクシングよりも、むしろ心について。タイソンが帰りたかったのは、今は亡きダマトのもとであり、あの時代だったのではなかったか。

実は今回、タイソンは精神科医も日本に呼び寄せていた。ニューヨーク州で専門の学校も経営するジョン・L・ハルビン氏から、就寝前に心を安定させるための睡眠療法を受けていた。「毎晩、自分がいかに最高のボクサーであるかを自覚させるための助言をしている」とハルビン氏は語った。効果がどれほどのものかは分からないが、あのタイソンが重圧と恐怖を克服するために、何かに必死にすがっていた。私は最強王者の仮面の下をのぞいたような気がした。

そして決戦3日前の2月8日、ホテルニューオータニで行われた公式記者会見で、タイソンの心の混乱は頂点に達した。【首藤正徳】

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公開スパーリングでスパーリングパートナーを攻め立てるマイク・タイソン(左)。後方左はプロモーターのドン・キング氏(1990年1月23日)
公開スパーリングでスパーリングパートナーを攻め立てるマイク・タイソン(左)。後方左はプロモーターのドン・キング氏(1990年1月23日)
ダグラスとの統一ヘビー級タイトルマッチのため来日したマイク・タイソン。右から2人目はプロモーターのドン・キング氏(1990年1月16日)
ダグラスとの統一ヘビー級タイトルマッチのため来日したマイク・タイソン。右から2人目はプロモーターのドン・キング氏(1990年1月16日)
合同記者会見で同席したマイク・タイソン(左から2人目)とジェームス・ダグラス(右)(1990年2月8日)
合同記者会見で同席したマイク・タイソン(左から2人目)とジェームス・ダグラス(右)(1990年2月8日)