85歳で「スピードラーニング」勉強中!駒大・太田終身名誉監督の超アクティブライフ

宅配読者の方々へ、定期的に「シニア面」を折り込みさせていただいてますが…あまりに生き生きとしている生きざまを、ぜひとも皆さんにお届けしたくなりました。来月86歳! アマ球界の超大物が語ります。

ストーリーズ

鳥谷越直子


東都大学リーグで歴代2位の通算501勝を挙げた名将、太田誠・駒大野球部終身名誉監督(85)は、今なおチャレンジを続けている。健康の秘訣(ひけつ)や野球界、教え子たちへの思いを熱く語った。

05年10月、日大戦で最後のさい配を振るう駒大・太田誠監督

05年10月、日大戦で最後のさい配を振るう駒大・太田誠監督

「田舎ジジイの青春をやってますよ」。張りのある力強い声で笑った。浜松市の自宅で、妻と長男家族と暮らす。夏は4時半、冬は5時半に起床し、布団の上で30分間のストレッチ。その後1~2時間かけて畑の手入れ。8時に朝食をとってからは、中学時代の同級生や球界関係者など、ほぼ毎日のように人が訪れるという。午後も読書や執筆、買い物など忙しい。18時に夕食をとり、風呂をすませ、スポーツニュースを見て、22時に就寝するルーティンだ。

「毎日忙しいね。知らないことを勉強したり、友人知人が訪ねてきたり。野菜を育てたり、魚を釣ったり。どっかり座ってテレビを見ていることはほぼないね」と言う。東都大学リーグが有観客で開催される時は、駒大終身名誉監督として週に1回上京して試合を観戦。定期的な後援会やOB会などの会合にも出席する。

2013年5月24日、駒大-国学院大戦を観戦するDeNA中畑監督(左)。右下は駒大元監督の太田氏

2013年5月24日、駒大-国学院大戦を観戦するDeNA中畑監督(左)。右下は駒大元監督の太田氏

14年に交通事故に遭い、奇跡的な回復を遂げた。78歳の時、雨が降りしきる夕方、孫を出迎えるため自宅前に出たところを猛スピードで突っ込んできた車に右膝から衝突された。その瞬間、「ボンネットに上った方がいい」ととっさに体勢を変え、ボンネットでワンクッションしてから5㍍先の地面にたたきつけられた。「あのまま飛ばされていたら即死だったと思う」と振り返るほどの大事故だった。

顔面は血だらけ、右の鎖骨は首に刺さるほど飛び出し、右足は動かなかった。それでも鍛え抜かれた体力、精神力は尋常ではなかった。自らの腕力で、飛び出した右肩を渾身(こんしん)の力で下に引っ張り、手が動く位置まで鎖骨を押し下げた。その後、病院に担ぎ込まれ、複雑骨折した右膝の手術を行った。

「6カ月の入院と言われたところを2カ月で退院したよ」と振り返る。入院中は「痛いと思えば痛いけど、とにかく明るくすごそうと思った。これまで生徒を教える時に、悲観的なことを言わずに元気づけるのが仕事でやってきたんだから」と奮い立たせ、驚異的な回復につなげた。

浜松市の自宅で庭仕事をする太田氏

浜松市の自宅で庭仕事をする太田氏

あれから約8年。右膝の後遺症は少し残るものの、健康診断の数値はすべて正常だという。3年前から英会話の教材「スピードラーニング」も始めた。「自分に足りないものは何だろうと探したら、語学だった。よしっ、今からやってみようと」。移動中やウオーキング中に聞いている。「コロナが落ち着いたら(エンゼルス)大谷君を見に行きたいじゃない。『カムカムエブリバディ』だよ」と豪快に笑った。

やりたいことは尽きない。駒大野球部で35年間監督を務め、教え子は中畑清、石毛宏典、森繁和、野村謙二郎らプロ監督経験者を含め1000人を超える。今でも教え子のフルネームと出身校を全て覚えているという。「感謝の思いと、これからも駒大を盛り上げていこうじゃないかということで、数年かけて全員に手紙を出そうと思っています」と力を強めた。「これからもアマ、プロ、MLBと野球界の変革を見守っていきたい」。5月で86歳を迎える「オヤジ」は、気力、体力とも充実感がみなぎっていた。

○太田誠(おおた・まこと)1936年(昭11)5月20日、浜松市生まれ。浜松西から駒大に進み三塁手として活躍、2度首位打者。社会人電電東京(現NTT)でも都市対抗で活躍。71年駒大監督、81年駒大教授。リーグ戦1部優勝22回、春秋合わせて501勝は歴代監督勝利数2位。全日本大学選手権5回、明治神宮大会4回優勝。主な教え子は中畑清、石毛宏典、白井一幸、野村謙二郎、高橋尚成、新井貴浩ら。愛称「オヤジ」。