【代打の神様列伝vol.5/桧山進次郎】現役最後の打席で代打2ラン「僕にも野球の神様がいるのか」

虎の職人だけに与えられる称号「代打の神様」。弊紙評論家の桧山進次郎氏にラストを飾ってもらいましょう。「♪誰もお前を止められぬ 桧山~よ突っ走れ~!」…記者席で感じる応援歌の圧が、最も強い選手でした。低迷期を支え、強い時代も下支えした功労者。最後の最後、ご褒美が待っていました。(2015年3月14日掲載。所属、年齢などは当時、文中敬称略)

傑作選

高原寿夫

◆桧山進次郎(ひやま・しんじろう)1969年(昭44)7月1日、京都府生まれ。平安―東洋大を経て91年ドラフト4位で阪神入り。95年から外野レギュラーに定着し97年に自己最多23本塁打。03、05年も主軸としてリーグ優勝に貢献。代打での14本塁打、158安打、111打点はいずれも球団最多。

阪神一筋22年。引退セレモニーで胴上げされる=2013年10月5日

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★06年が転機 若返り方針

もっとも新しい「代打の神様」の名ゼリフは「僕にも野球の神様がいるのか」だった。2013年10月13日、セ・リーグのクライマックス・シリーズファーストステージ広島戦(甲子園)。9回2死一塁でそれは飛び出した。

このシーズン限りでの引退を決めていた桧山進次郎が、広島ミコライオ(現楽天)から完璧な当たりの代打2ランを右翼席へ放った。試合には負け、敗退が決まったが、虎党の留飲は一気に下がった。

「この1球」にこだわる練習スタイルで、代打の地位を固めた=2012年7月15日

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低迷期の4番打者から代打の切り札となった男。最後は実に派手だった。

「代打の神様」への流れは、06年から始まった。03年、05年と念願のリーグ優勝を経験したが、当時の指揮官・岡田彰布は浜中治、林威助、桜井広大ら若手外野手への本格的な切り替えを図っていた。

監督の気持ちは理解した桧山だったが、まだ若手と同じように動ける思いがあったし、彼らに負けている実感もなかった。

頭では理解していたが、気持ちがついていかなかった。それもあり、なかなか代打での結果が出なかった。

★八木裕にヒント フリー初球から全力

桧山自分は、ずっとリズムでプレーしていた。右翼まで走って、ベンチに戻って、打順が回って。そのリズムが作れない。気持ちが悪い。どうすればいいのか。考えに考えて出た答えは「代打にリズムなんてない」ということだった。

スタメンと同じ考え方ではダメだと理解した。川藤幸三にも話を聞いてもらった。そして思い出したのは、八木裕(阪神2軍打撃チーフコーチ)の姿だった。

日刊スポーツ評論家として活動中。的確な選手心理の指摘に定評=2021年2月1日

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八木は試合前のフリー打撃で、打撃投手に至近距離から投げてもらう練習を、いきなり、やっていた。ルーティンのバントもせず、いきなり本気で打ち始めていた。八木が試合前から勝負していたことを、初めて理解した。

ベンチに座っていても、気持ちはずっと試合に出ているようにイメージした。そして代打3年目の08年、スタメン時代に続く自身3度目の打率3割を達成した。

★阪神記録 実働22年

「切り札」「神様」への道が始まり、通算代打起用回数、代打安打数、代打打点数すべて歴代2位を達成するまでに。阪神での実働記録22年を記録した。

桧山代打は〝割り切り〟なんですね。こっちが出る場面で投げているのは、みんないい投手。全部のボールと勝負なんてできない。絞った球と違って打てなければ「しょうがないわ」と思えるかどうか。今後、切り札が出てくるかどうかは、そこにかかっていると思います。(この項おわり)

▼代打の神様列伝 連載一覧▼

①川藤幸三

②遠井吾郎

③真弓明信

④八木裕