樋口新葉が目指した演技 高橋大輔のように「観客とつながる」
初出場の北京オリンピック(五輪)で団体戦銅メダル、個人5位入賞と躍進した樋口新葉選手(21=明大)。北京での3週間、この4年間の成長を、現地で取材した阿部健吾記者はこう感じました。
ストーリーズ
阿部健吾
<北京五輪:フィギュアスケート個人5位、団体銅メダル>
北京で過ごした3週間が、彼女を変えていた。
「メダルとかは全く考えてませんでしたし、自分の納得のいく演技がしたいっていうふうに思っていたんですけど、毎日生活していくうちに、頑張ってメダルを取りたいっていうふうにも思いました。今日終わってもまた4年後、自分がもっとできることを増やして、もっと強くなってここで滑りたいなって思いました」
2月17日、現地時間の午後11時過ぎ。オリンピックの戦いを終えた樋口新葉は、生き生きとしていた。21年の人生で最も濃密な時間を過ごした経験が、スケーターとしての目標をあらたにさせていた。それまでの4年間、心にそっと秘めてきた思いは、もう過去のものになっていた。
「倍返し」と「トリプルアクセル」
「倍返し」と「トリプルアクセル」がいつも聞かれることだった。
前者の発端は、18年平昌オリンピックの出場を逃した17年末の全日本選手権後に、ツイッターに書き込んだ言葉。
「この先どんなに辛いことがあっても今日のことがあったから頑張れるって思えるように」「これから倍返しの始まりだ」
大人気ドラマ「半沢直樹」の決めせりふで誓いを立てた。
後者は当時はなかった武器。この4年間で操れるようになった3回転半のこと。
覚悟と進化。ついにつかんだ初のオリンピックへの両輪は、樋口を言い表すこれ以上ないキーワードとして絡み合っていた。
ただ…。
1月、北京切符をつかんで見事な「倍返し」を決めた直後に、明かしていた。それはスケーターとしての目指す地平の話だった。
「4年前は勝ちたいことに、すごくこだわりを持っていたので、勝てないと意味がないみたいな気持ちでした。もちろん、いまも勝てないと意味がないんですけど、すごく、いまはどういうふうなスケートをして、どういうふうに観客の方とつながれるか。そこがスケートの楽しいところだと感じています」
樋口を初めて目にしたのは14年の冬。新潟での全日本ジュニアだった。浅田真央の五輪の2度目の挑戦が終わり、前年末に引退を決めた安藤美姫らも含め、フィギュア人気をけん引した女子選手たちが決断を迎えていた時期。当時13歳の滑りに目を見張った。
とにかく速かった。ルッツ-トーループの連続3回転を弾丸のように跳ぶ姿に、近い将来の躍進を感じた。スピードを恐れず、コーチにも自己主張する勝ち気な性格も、勝負の世界に合っていた。
その後にフィギュアスケート担当を離れた時期があり、しっかりと話を聞けたのが1月だった。平昌の悔しさやその後のケガに悩まされた苦難を超えての、悲願のオリンピック。13歳の姿が「倍返し」という言葉にぴったりだっただけに、その答えは意外だった。
「観客の方とつながりたい」。抽象的な表現だが、しっかりと具体像があった。
「シングルというより、アイスダンスだったりが自分は印象的です。(村元)哉中ちゃんと大ちゃん(高橋大輔)の演技はすごく格好いい。特に大ちゃんはシングルの頃から大好きな選手で、ビートルズメドレーとかもすごく印象的だな。見ているとつながっているなと感じます」
間近に理想像があった。自分が感動する演技こそ、観客との一体感がある。
「この人はいろいろ考えながらやっているんだろうなという演技もあるんですけど、すごく楽しそうだったり、幸せそうに滑っている、その人の気持ちが観客、見ている人につながった方がすごく面白いと思う」
心の部分。それは昔の自分を振り返る事でも、より顕著になるという。
「ジュニアの時は、曲の印象、イメージ、意味を自分の中では理解していたつもりだったけど、いま見返してみると、ジャンプに集中していたり、表現を仕切れてない部分がすごく多くて。その中で、『もうちょっとこうすれば良くなったな』とか。昔の演技を見てて思ったというのも1つあるんです」
勝ち気だった少女。ジャンプでより高みを追い求めるのは決して悪ではない。ただ、いま振り返る20歳の樋口は、それだけが全てではないと感じとる。
「そこが変わったかな」
照れながら、笑顔で自負をのぞかせた。それが彼女の4年間の1つの結晶だった。
迎えた北京オリンピック。フリーを終えての第一声はこうだった。
「トリプルアクセルはよかったですね」
その「は」という言い回しが、目指していた演技を言い表している。心を砕いていたのはそれ以外だった。
強気で勝ち気だが、内面には優しさもたたえる「ライオンキング」を演じたプログラム。それは樋口自身の4年間の心理の変化を見事にストーリーに昇華した作品だった。だからこそ、ジャンプ以外で見せたいものが多々あった。
1つ、顔つきで言えば、終盤のステップシークエンスに入る前の勇ましい顔、そして滑りながら柔和に、楽しさが満ちてくる見せ場はあった。ただ、観客とつながる演技には、それだけでは満足できない。前半の3回転ルッツの転倒に「何で!」といら立ち、それがトランジションなどへの心配りの邪魔になった。
やりたいことはかなえられなかった。出しきれもしなかった。ただ、それでも言葉には失意より希望があった。
「もっと強くなってここで滑りたい」
冒頭のフリー直後の宣言。最初で最後の五輪と思っていた大会前とは、大きく気持ちが動いていた。それは、この4年抱えていた「観客とつながる」という目標を一段階引き上げていたように感じた。勝ち気であった自分と、見ている人とつながれる演技は相反しない。そんな実感を抱いているようだった。
1つ、大会前に求めていたものがあった。13歳の頃のスピードだった。
「昔から『スピードがある、スピードがある』と言われてて、自分の中ではそういうイメージはまったくなくて滑ってきたんですけど。いま、その時の演技を見ると、昔のほうが速いなというイメージあります。その勢いみたいなものを印象づけられると、いまの演技に合わさると、変わってくるんじゃないかなと思います」
北京でのフリーでの悔恨の1つは足が止まっていると感じたこと。緊張、気持ちのまどい、複雑に絡む要素が体を縛った。
あの頃の自分にはまだ遠い。ただ、強くなるためには、観客とつながるためには、あの頃こそが鍵を握る。それを確信できた舞台でもあったのではないか。
あるスケーターの心を揺さぶり、動かす、オリンピックという時間。樋口を通し、そのフリーの後の言葉から、その地力の内実を感じたように思う。
蛇足ながら、1月のインタビューでは樋口に伝えたことがあった。
13歳の全日本ジュニアの記事では、当時の周囲の「靴にジェット噴射が付いているみたい」という声から、「ジェット新葉」と勝手に命名した。
「覚えてます(笑い)。ありがとうございました」
本人の回答に胸をなで下ろしながら、あの頃のスピードを彼女も求めていることを知り、「また『ジェット新葉』と書かせてもらっていいですか?」と聞いた。
「はい! また書いてもらえるように頑張ります!」
オリンピックを経て、考え方が変わったからこそ、あの頃のように、そして、あの頃にはなかった楽しさも込めた、新たな「ジェット新葉」を見たい。