「コロナ下で開催できたこと、本当に感謝している」。競技後に取材したアスリートは必ずこの言葉を口にした。日本史上最多の金メダル数を記録。一方、新規感染者数は都内史上最多となる5000人超を記録するなど皮肉にも比例して伸びていった。

近代五輪125年の歴史で初の延期を経験した東京五輪。組織委員会が苦労し尽くしたのは理解できる。だが選手の活躍の陰で毎日起きた問題の数々。国民に対し組織委が誠実に説明し尽くしたかと問われれば、答えは「NO」だ。

オーストラリア選手団が泥酔し、選手村のベッドや壁を破損しても組織委のスポークスパーソンは「個別の事案には答えられない」とかわし続けた。しかし「損害賠償を請求しなければ修繕費は都民が払うのか」と指摘されると、ようやく「破損している場合はNOC(各国五輪委員会)が相応額を払う手続きとなっている」と翻した。

大会中盤には、陽性者に隔離施設から無断外出される失態も犯したが「施設を抜け出した行為ではない」と強弁したこともあった。

感染防止対策の一環で多くなったオンライン会見。チャットに質問を打ち込むシステムだが、都合が悪い質問になると司会者は当該登壇者に振らずに、そのままスルーする場面も散見された。質問が登壇者に届かない。もはや会見の体をなしていなかった。

選手村を無断外出しての東京タワー観光や買い物など、都民や国民に約束していたバブルも守られず。それでも武藤事務総長は「一部を除いてバブルは維持された。コロナ対策も十分だった」と胸を張った。

急なスケジュール変更にも選手は振り回された。女子マラソンは号砲まで12時間を切ってからスタートの1時間前倒しが決まった。一山は就寝後に起こされて変更を知り、朝まで寝つけなかった。組織委は「迷惑をかけた」とは言いつつも選手への謝罪はなかった。

組織委の個々の現場は必死で仕事をしている。しかし、それらはバラバラでまとまりがあったとは言いがたい。如実に表れたのが開閉会式。「東京五輪招致の起源は東日本大震災からの復興」。それが時を追うごとに薄れていったのは、担当記者として肌で感じた。

特にコロナ後は顕著だった。開閉会式のコンセプトからも「復興五輪」という言葉は外された。国からの高級官僚がトップ級幹部を務める組織委。法律づくりが仕事の官僚は文書作成に命を懸ける。にもかかわらず「復興五輪」の文言を落とした。

今大会の起源的な理念を重要視しなかった開閉会式制作チームを、組織委幹部は放置した。できあがった「理念なき式典」は大会の象徴になることはなく、選手たちの活躍に助けられた。この大会のレガシーとはいったい何なのだろうか。【三須一紀、木下淳】