重量挙げ女子で五輪にアテネ大会から5大会連続で出場した三宅宏実(35=いちご)が、現役引退を表明した。12年ロンドン大会で銀メダル、16年リオデジャネイロ大会で銅メダルを獲得。柔道の谷亮子に並んで夏季大会で日本女子の歴代最多出場となった今大会は、49キロ級に出場し、スナッチで74キロを挙げたが、ジャークで3回とも失敗して記録なしに終わった。

   ◇   ◇   ◇

挙げられなかった。21年間挙げ続けたバーベル、競技最後の1本。「記録なしということには悔しい気持ちがあります。これが試合の厳しさ」。三宅は目をつぶり、大きく息をついた。「いつまでも五輪に出続けたいが、体力の限界。次の道が待っている」。ついに戦いの日々を終えた。

スナッチは74キロに成功し、続く76キロを連続で失敗した。後半は得意のジャーク。ただ、15分の空き時間に最終調整で挙げた95キロが「最近の中で一番重く感じた」と不安がよぎった。本番は99キロに挑戦し、1度も成功できなかった。

おじの義信さんが64年東京大会から2連覇、メキシコ五輪では父義行さんも銅メダル。日本の重量挙げと言えば三宅家。幼少期からピアノを習い、運動とは無縁だった宏実が目覚めたのは00年シドニー五輪だった。女子が初採用され「私もできる」と高ぶった。父の反対を押し切り、その歩みが今につながる。

近年は故障が続いた。練習では他選手より2時間ほど早くきて、ストレッチは欠かせなくなった。コロナ禍では自宅に戻り、父とリビングで練習した。「それまでは自分で計画して、それがケガに結びついた。父のメニューに変わってからは安定してできている」とこの日を迎えた。

今後は指導者を目指す第一人者は「やっぱり国外の五輪とは違って心強かった。満足です」と涙を浮かべて、ほほえんだ。

 

◆三宅宏実(みやけ・ひろみ)1985年(昭60)11月18日、埼玉・新座市生まれ。新座二中3年から競技を始める。五輪は04年アテネ9位、08年北京4位、12年ロンドン銀、16年リオ銅。家族は両親、兄2人。プロ野球でバース(阪神)落合博満(ロッテ)が3冠王に輝いた年に生まれたため、うかんむりが3つ並ぶ「三宅宏実」と名付けられた。146センチ。