16年リオデジャネイロ五輪代表監督、18年W杯ロシア大会日本代表コーチの手倉森誠氏(51)が7日、来季J2から再出発するV・ファーレン長崎の新監督就任会見を佐世保市内で行った。多くの報道陣を前に「こういう形式で記者会見するのは、リオ五輪で敗戦が決まった後以来。こうやって会見すると、いよいよ監督するんだなという雰囲気になる。まだメディアの皆さんの雰囲気が硬い中“固い”決意を語りたい」と代名詞のダジャレを、あいさつ代わりに披露した。

長崎監督就任を決めた理由を聞かれると「甲高い声の(クラブの高田)明社長と、対照的に低い声の(親会社ジャパネットホールディングス高田)旭人社長と話をして、長崎の“長い”先のビジョンを聞いた時、非常に壮大だと思った」と再びダジャレをかませつつ「日本を代表するクラブをつくりあげたいという思いを感じて、代表で活動していた私としては、やるしかない、俺の出番だなと思った。J2から、すかさずJ1に上がらなければいけないし、その自信はある。ものすごい強さでJ2を制したい」と1年での圧倒でのJ1復帰を約束した。

リオ五輪、W杯ロシア大会の経験をどう生かすか聞かれると「日本のトップ(オブ)トップの選手たちとの経験を還元できれば。長崎の選手たちにも代表を近くに感じてもらいたい。J2でも代表を意識してほしい。上には上がいるけど、同じ人間がやっていることなので。可能なんだってことを、簡単に考えてもらえるよう伝えていきたい。ここから代表選手を出すことも描きながら仕事をしたい」と輩出も目指す。

仙台監督時代の11年に東日本大震災があったことにも触れ「ただ、サッカーやれればいい、生活できればいい、という小さなことではなく。被災地を背負って戦った時、人は本当に変わると感じたし、スポーツが持つ力の大きさも感じた。長崎でもそうしたい。日本人として、過去に苦しい出来事(原爆投下)があった地を、幸せに、豊かな地域にサッカーを通じてしていければ。原爆というと、広島のイメージが強い。そこには、広島がサンフレッチェと東洋カープを抱えていることがあると思う。長崎にもV・ファーレンがあるということを、全国に知らしめたい」と真剣な表情で語った。

長崎のサッカーの印象を尋ねられると「よく走る。粘り強く戦うサッカーが染み渡っている。そこに自分が見てきた世界のスタンダードを求めて、J1で強豪になる、走れるチームがもっと走れるように。同い年の高木(琢也前監督)の築き上げた部分を大事にしつつ自分の色も出し、長崎とやるの嫌だなと思われるようなチームにしたい」と説明した。

J2での戦い方については「全員攻撃、全員守備。見ていて楽しいサッカーを将来的にはやりたいけど、現実的にはJ1に戻ることが最優先。タフで、たくましいサッカーをJ2では見せないといけない。幸い、自分は全カテゴリーを経験しているので。社会人リーグ、地域リーグ、JFL、J3、J2、J1、五輪、W杯。(09年に仙台で)J2を制してJ1昇格することも経験してるし、J1に残って優勝争いすることも経験している(11年4位、12年2位)。長崎を、数年でJ1優勝争いできるチームにしたいと思います」と目標を堂々と語った。

手倉森監督のJリーグ復帰は13年のベガルタ仙台以来6年ぶり。J2で指揮するのは、優勝でJ1昇格させた09年以来10年ぶりとなる。今年8月末にA代表コーチを退任した後は、U-21タイ代表監督や複数のJ1、J2クラブから興味を示されたが、最終的に長崎を選択。日本協会を離れた後、初めての仕事先(小値賀島でのサッカー教室)で訪れていた地だった。「本当に、あれが縁だったんだな」という場所から再出発する。

会見後には囲み取材に応じ、ダジャレを連発。「ホームのトラスタでは絶対に負けたくない。トラスタで勝ち点3を“取らせた”くない」。ジャパネットたかたの「利益還元祭」を念頭に「自分の経験を“還元祭”したい」。「就任を決めた日は11月23日。思い切り行くぞ! “1、2、3、ダー!”」とまくし立て、地元メディアを笑わせて? 困惑させて? の所信表明を満喫した。【木下淳】