福島県双葉町に2度目の訪問をしてきた。

東日本大震災後の復興支援をしたいとアスリートの声で始まった、JOCが主催する事業「オリンピックデー・フェスタ in ふたば」に参加するためだった。

オリンピアンとして何度もJOCのプロジェクトに参加しているが、このデー・フェスタは、被災地訪問ということで私自身、想いも深い。去年も訪問した際に双葉町の方たちから感じたことがある。「このデー・フェスタを楽しみにしていたんだ」ということ。

イベントの内容は運動会方式。オリンピックの5つの輪の色にちなんで、5色のチームに分かれ順位を競う。今回行ったのは、手つなぎ鬼・宝拾い・小玉回し・5色玉入れだった。

この中の「宝拾い」というゲームは、双葉町の方たちになじみの深いゲームということで取り入れられた。

いざ、始まるとご年配の方も子供も元気に参加した。「私はいいよという方もやってみると楽しい」と笑みがはじけた。

オリンピックデー・フェスタのスローガンは「スポーツから生まれる笑顔がある」。その通りだなと感じた。

スポーツをすると、最後は仲間になる。

私はそう思っている。スポーツができる役割を常に考える。

人と人とがつながり、困ったときには助け合い、喜びは分かち合える。そんな関係を築くことができる一歩こそがスポーツだと。


ここ双葉町は、被災から7年半も経った今も住民が町に戻れないでいる。つまりこのイベントは、住民たちの再会の場にもなっているのだ。

そんな素晴らしい運動会を経て、私たちは被災した地域を訪問するというのが恒例になっている。前回は街の中を見せてもらったが、今回は帰還困難区域と呼ばれる地域に足を運んだ。初めての経験だった。

双葉町と聞いてみなさん何を思い浮かべるだろうか。2011年3月11日14時46分に東日本大震災が起き、福島第一原子力発電所が被害を受けた。町は建物が壊れただけでなく、放射能汚染のため帰還困難区域に指定された。現在もその場所に立ち入ることは自由にはできない。

入る際には身分証明書が必要で、申請も必須だ。

アララサーベイ(放射量測定機器)を首から下げ、地域に入る。震災前、ここには7140人が住んでいた。今は、いわき市、埼玉県加須市、茨城県などに避難し、この町には戻れないでいる。町の人がどんな気持ちだったか、少しでも感じたいと思った。津波で亡くなった方は20人、行方不明は3人だという。

双葉町の伊澤史朗町長に説明を受けながら、双葉南小学校と双葉町役場を訪れた。

一番印象に残っているのは、小学校が当時のままだったということ。ランドセルがそのままになっている。あの時6年生だった子供たちは、来年成人式を迎える。時間が経っているはずなのにその小学校だけはそのままだった。

黒板には「3月11日(金)卒業式まであと8日」と書かれていた。

町の人に聞くと「みんなすぐ帰ってこれると思っていたんだよ」。残されたランドセルやシューズ。今後お返しすることも考えているという。

また、町役場には当時のメモが残り、いかに混乱した状況だったかがうかがえる。

復興のために多くの事業計画がされている。2019年には、JR双葉駅ができ、双葉ICも完成予定。土壌貯蔵施設も完成予定だ。まだフレコンと呼ばれる汚染土壌を覆っているものが見渡せば確認することができる。

また、福島県内の近隣の町で協力し、復興公営住宅の整備なども行われている。特にいわき市には役場事務所があり、町立幼小中学校も再開されていることもあって、いわき市南部の復興公営住宅は「双葉町外拠点」の中心にもなっている。伝統の「双葉ダルマ」が販売されるダルマ市も復活してきた。

町に戻りたいかというアンケートでは、2017年の時点で、61.1%が戻らないと決めている。26.1%がまだ判断がつかない。戻りたいと考えているのは11.7%となっている。

時間が止まっているこの街の復興を見届けたいし、私は何度でもスポーツを通して町の方たちと交流したい。自分ができることを最大限にやりたい。

今回、7人のオリンピアンが参加した。私も皆さんとたくさん話した。今の生活に慣れたとか、近所の方が本当にやさしいとか、お話を聞けてとてもよかった。こちらが、勇気をもらった。

少しでもアスリートとして、日本人として、1人の人間として考えて行動していきたい。

双葉町のみなさん、本当にありがとうございます。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)