平昌(ピョンチャン)冬季パラリンピックが18日夜、閉幕した。

 日本選手団のメダル総数10個のうち、5個を獲得したアルペンスキー女子座位の村岡桃佳(21=早大)が大活躍した裏には、同女子立位の本堂杏実(21=日体大)の存在があった。

 村岡はこの日、最終種目の回転で銀メダルを獲得。メダル授与式では、観客席から日の丸を持った本堂と大日方邦子団長(45)が大きく手を振って喜びを分かち合った。14日の大回転で金メダルを獲得した時は、号泣した本堂が駆け寄り、それを見た村岡が感極まった。2人は互いのことを「パートナー」とし、「気持ちを高めあえる存在」と表現する。

 共通点は、97年生まれの埼玉県出身。村岡は4歳で横断性脊髄炎を発症して車いす生活となり、14歳で競技を開始。性格は冷静で本番になるとあがり症。一方、本堂は先天性の左全手指欠損で、5歳から父の影響でラグビーを始めた。負けず嫌いな性格で高校生で18歳以下の日本選抜に選ばれた。日本代表を目指して日体大に進学後、大学側から「パラリンピックを目指さないか」と打診を受け、アルペンスキーの挑戦を決めた。

 性格、競技歴と異なるタイプの2人。「座位」「立位」と障害クラスも違うためライバル関係でもなく、心から「仲間」として認めあえる。村岡は個人競技のアルペンスキーを8年、本堂はチームスポーツのラグビーを15年続けてきた。全5種目で表彰台に立った村岡との差は歴然だが、本堂は大きな刺激を受け「いつかは私も桃佳と同じ位置に立てるような選手になりたい」と言い、村岡も「まだまだ通過点」と前を向く。互いにないものを吸収して成長につなげる。4年に1回の大舞台を終え、“凸凹コンビ”の絆がより一層深まった。【峯岸佑樹】