バレーボール男子日本代表の中垣内祐一監督(53)が退任する。アジア選手権決勝を戦い終えた19日夜のオンライン取材で明かした。男子日本代表が12年ロンドン、16年リオデジャネイロと2大会連続で五輪出場を逃していた中で17年に監督就任。19年W杯では4位。東京五輪では29年ぶりの8強入りを果たした。後任は日本協会の監督推薦会議で来月中旬までに決めていく。

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中垣内監督の顔からは、重責を全うできた充実感がにじんだ。今月末の任期満了と同時に退任することを明かし「悩み、苦しみ、葛藤と戦う日々でしたが、選手たちの成長を特等席で見守れる幸せな時間でもありました」。続投する意向はなく、「このへんで切りが良いと思います」と満足げに語った。

2大会連続で五輪出場を逃していた男子代表監督に17年に就任。「日本男子バレーを復活させたい」という関係者の期待を一心に受けたが、18年世界選手権で17位と振るわず。一時は解任騒動まで起きた。

サーブ力の強化やコート上の6人全員で守るトータルディフェンスを浸透させ、19年W杯では4位。西田有志(21)や高橋藍(20)ら若手が台頭し、新型コロナウイルスの影響で1年延期となった東京五輪ではチームを29年ぶりの8強となる7位に導いた。

「日本男子バレーは復活の1歩を踏み出すことができた」と成果を確信しているが、3年後の24年パリ、28年ロサンゼルスに向けてさらなる発展を期待。「運動能力の高いバレーボール選手の発掘と、長期的な視野で育成を継続しなければいけない」とエールを送った。【平山連】

◆中垣内祐一(なかがいち・ゆういち)1967年(昭42)11月2日、福井市生まれ。福井・藤島高から筑波大を経て新日鉄(現堺)入り。筑波大在学中の89年に日本代表に初選出され、跳躍力を武器にウイングスパイカーとして活躍。92年バルセロナ五輪では6位。00年シドニー五輪出場を逃し、代表を引退。04年に堺で現役を引退した。11年4月から13年1月まで男子日本代表のコーチを務めた後、17年から監督就任。