筆者は、ミックスゾーン(報道陣の取材場所)の柵に前向きに寄りかかり、女子テニスで世界2位(当時)の大坂なおみ(24=日清食品)を待っていた。その時、右側に気配が漂った。顔を向けると、柵の外を、大坂が1点を見つめながら、鬼の形相で速足で駆け抜けていった。
大坂を、専属の茂木奈津子トレーナーが追っていた。茂木トレーナーとは目が合った。少し寂しそうに見えたが、茂木トレーナーは、すぐに視線を大坂の背中に向け、大坂とともに、選手専用車が待機する駐車場めがけて、迷うことなく歩を進めた。
7月27日のこの日、大坂は、東京オリンピック(五輪)テニス競技女子シングルス3回戦で、同42位のマルケタ・ボンドロウソバ(チェコ)に1-6、4-6のストレートで完敗した。13年9月に同五輪の開催が決まって以来、夢見ていた母国での金メダルは、その瞬間についえた。
テニス競技のミックスゾーンは、センターコートである有明コロシアムの北側のスペースに、仮の柵で区切り、誘導路を作成。有明コロシアムの出入り口から、誘導路沿いに選手を移動させながら、報道陣との接触を可能とした。
とはいえ、選手は、基本、どこでも歩き回ることが可能だ。大坂は、有明コロシアムの出入り口から外に出て、誘導路に入らず、そのまま柵の外を歩いた。あっという間の出来事で、誘導路に導く係員も気がつかない状況だった。
一瞬、まずいことになると感じた。目の前に、大坂のマネジメント会社の米国の担当者がいた。彼に、「Bring her back!(彼女を連れ戻して)」と何度も叫んだ。しかし、彼は、両手を広げてお手上げのポーズで「She can’t hear me(言っても無駄)」とつぶやいた。
感情が高ぶると、ひとつのことしか見えなくなる大坂の欠点を、彼は何度も味わっていた。自分の世界に入ると、人が呼んでも耳が向かない人がいる。大坂は、そのタイプだ。ミックスゾーンを突破と報じられた行為も悪気はない。ただ、気持ちが動転し、帰りたい一心だった。
そこに、日本代表チームのスタッフが飛んできた。土橋登志久代表監督は、大坂がミックスゾーンを通らなかったことを知らなかった。しかし、日本オリンピック委員会(JOC)と直結し、国内で五輪の重要性を痛いほど味わっている代表監督と、個人のマネジメント担当者では、認識が大きく異なった。
土橋代表監督は、このまま大坂を放置しては、大きな騒動になると事情をすぐに理解した。付き添っている茂木トレーナーに携帯で連絡を取ると、会場に戻るよう大坂を説得してほしいと依頼した。大坂が乗った車は、すでに会場から去っていた。
約20分後。土橋代表監督に連絡が入った。「戻ってきます」。ミックスゾーンを通らなかったのは「負けた後に、通るとは知らなかったと言っている」。この理由は、ほぼうそだ。しかし、その真偽よりも、大坂を会場に戻すことができたという事実が大きかった。
すでに試合が終わって、2時間以上がたっていた。涙をためながら、大坂はミックスゾーンを通った。日本報道陣への対応は、最後の最後だ。「つらい敗戦だったか?」。自分でもありきたりの問いだと思ったが、まずそれしか聞けなかった。「うん」。それ以上、涙で声は出なかった。
記者と大坂の間は、1メートル半ほど。柵より少し、離れた位置に大坂はいた。「フィジカルディスタンス」は十分だった。しかし、距離があっても、去って行った大坂よりも、その距離は少し縮まっていたように感じた。【吉松忠弘】(おわり)


