フィギュアスケート男子の冬季オリンピック(五輪)2連覇王者、羽生結弦さん(27)が19日にプロ転向を正式表明し、競技会の第一線から退く決断を下した。「羽生結弦の軌跡」とし、フィギュアスケート史に金字塔を打ち立ててきた羽生さんの挑戦の歴史を連載で振り返る。

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出ない。と羽生結弦は決めた。グランプリ(GP)シリーズに出場しない。20年8月。シニア11季目にして初のGP辞退だった。コロナと持病の気管支ぜんそくとの関係性も推察した上で、欠場理由を説明した。

「私が動くことによって多くの人が移動し集まる可能性があり、感染リスクが高まる可能性もある。感染拡大のきっかけになってはいけないと考え、私が自粛し予防に努めるとなれば、拡大防止活動の1つになり得る」。競技人気を沸騰させた自身を取り巻く環境を自覚し、北京五輪プレシーズンの試合勘を犠牲に、健康と拡散防止を優先した。

表舞台から姿を消す。拠点のカナダに戻らないと決め、故郷仙台で練習した。五輪2連覇王者が、一般営業が終わった後の深夜に滑った。「毎日1人でコーチなしで。家族以外と接触せず、外に出ることも全くなかった」。闘志がなえる。「戦えなくなっているのかな。1人は嫌だ。もう、やめようかな」。暗い世相に「好きなスケートをすることへの罪悪感もあった」。

前人未到のクワッドアクセル(4回転半)成功どころか、目をつぶっても決められたはずの3回転半まで跳べなくなった。欠場期間中、他選手の試合報道も入ってきた。「みんな、うまくなっている。その中で自分だけ取り残されているというか、自分がやっていることが無駄に思えて、1人だけ、ただただ暗闇の底に落ちていく感覚だった」。

翌21-22年も4回転半(4A)に向き合う過程で壁にぶつかる。昨春の時点で1000回以上はトライしていたが、降りられない。

「誰も跳んだことがないんです。誰もできる気がしないと言っている。その練習は、ひたすら暗闇を歩いている感じ。頭打って脳振とうで死ぬんじゃないか」「氷に体を打ちつけて死にいくようなジャンプ」「世界が終わるんじゃないか」

苦悩の沼に光が差したのは21年11月だった。「立てた」。2季ぶりGPのNHK杯直前。だがその2日後に右足首を捻挫した。「ストレスで食道炎になって熱が出て。1カ月間、何もできなかった」。嫌いな2文字が、また頭をよぎった。

「もう、やめようかな」

再び闇に落ちた。「限界なのか。早く跳ばないと体が衰える。何で跳べないんだ。こんなにやっているのに…。やる必要あるのかな」。北京五輪代表の最終選考会を兼ねた全日本選手権に、出るか否か。最後の練習で90分間、跳び続けた。

「q判定(4Aと認定される4分の1回転不足)ぐらいで4発、降りられた」

やめたくない。20年は「やっぱスケート好きだな」と自分のために。21年は「皆さんが懸けてくれてる夢だから」と支えてくれる人のために。思いは北京への道とついに交錯する。「4Aへのこだわりを捨てて勝ちにいくのであれば他の選択肢もある。ただ、北京を目指す覚悟を決めた背景に4Aがある」。22年へ夢の続きが描かれた。(敬称略)【20年~担当=木下淳】

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