フィギュアスケート男子で22年に現役復帰した織田信成(36=大阪スケート倶楽部)が、10年ぶりの出場を目指した全日本選手権(12月20~24日、長野)への道が断たれていたことが判明した。
28日は同選手権の予選会となる西日本選手権(広島・ひろしんビッグウェーブ)で、全日本選手権へ進む上位6人の枠に入った。前日27日のショートプログラム(SP)は7位発進だったが、この日のフリーでは4回転トーループ2本を着氷。フリー155・45点の合計216・75点と一気にまくりあげて優勝した。
だが、織田は全日本選手権出場のために日本アンチ・ドーピング機構(JADA)から義務づけられている大会6カ月前までのJADAへ届け出と競技外検査を履行出来ていなかったため、出場することが出来なくなった。
表彰式後、織田は涙を流しながら「僕としても非常に残念。最近まで周りの人たちが模索してくれました。目標を失った時はかなり落ち込み、精神的にも練習に行けない気持ちになってしまった」と振り返った。
◇ ◇ ◇
織田が目標としてきた全日本選手権出場への道は、思わぬ形で途絶えていた。
JADAによると、日本スケート連盟経由で織田から復帰届を出す意向を受けたのは、今年7月18日。その翌19日から6カ月後の来年1月19日より、JADAが国内最高レベルと定める国内競技大会(競技によって対象大会は異なり、フィギュアの場合は全日本選手権、冬季国体)への出場が可能と決まった。そのため12月に開催される全日本選手権は出場不可。JADA担当者は「我々は規程を守っていく立場。粛々と手続きをしている。織田選手もそうですし、他の選手もそう。アスリートの責務を、しっかりとやらなければいけない」とのスタンスを示した。
織田は14年1月の引退届提出時、同2月のソチ五輪(オリンピック)出場を目指していた実績などから「国際レベルアスリート」として日本アンチ・ドーピング規程に基づいた「登録検査対象者リスト(RTP)」に名があった。このリストに入ったスケーターが全日本選手権や冬季国体に出場する意思を持って復帰する場合は、スケート連盟への選手登録に加え、JADAに対しても復帰届を提出する必要があった。
RTPに載っている選手が、JADAへ提出する引退届には「国際競技大会や国内競技大会に参加するため復帰を希望する場合は、JADA書式『復帰届』を提出する必要があります。『復帰届』をJADAが受領した日から6か月の間、ドーピング検査を受けられるようにする必要があるため、その間『国際競技大会』および『国内競技大会』への参加はできません」と明記されており、織田はこの義務を履行していなかった。
JADAによると、全日本選手権出場が認められない流れを知った織田サイドは今年8月、世界反ドーピング機関(WADA)へ適用除外申請を行った。だが申請は却下され、日本スポーツ仲裁機構(JSAA)への不服申し立て期間も終了。全日本選手権出場不可が確定したことを把握した上で、秋の近畿選手権、西日本選手権に臨んでいた。
織田は今年1月に青森・八戸市で行われた冬季国体の成年男子に出場したが、この国体もJADAが定める国内競技大会。個人9位となり、都道府県別で大阪は3位に入ったが、これはJADAが復帰届を受理していない状態での演技だったことになる。JADA担当者は「残念としか言いようがない。アスリートの責務として『こういう手続きがある』と出している。引退届にも書いてある。お示ししていることが、守られなかったのは残念」とし、今後の処分が検討されているという。
今回の一連の件に関し、日本スケート連盟は「2013年末の引退から復帰までに長いブランクがありました。そのために届出を履行できなかったものですが、連盟として、織田選手に対し、競技復帰の手続きに関する適切なサポートができなかったことは、申し訳なく遺憾に思います」とコメントした。