もう1つの夢が、開花した。

 交流戦最終戦の6月17日ヤクルト戦。日本ハム平沼翔太内野手(20)が、プロ初安打を放った。9回、守護神・石山から左前打を放ち、節目を刻んだ。3年目、通算10打席目で生み出した。試合後は「まだまだ通過点なので」。浮かれた様子はなく、次のステップへ地に足付けていた姿が印象的だった。

 この日を迎えるまで、幾度の選択を迫られた。敦賀気比から15年ドラフト4位で入団。春夏3度の甲子園出場で、15年センバツの優勝投手も、プロ入りは既定路線ではなかった。指名を受けた後、両親と家族会議が行われた。平沼が打ち明けたのは、もう1つの夢だった。「歌の道も諦められないんだ」。

 野球と並んで、歌うことも大好きな1つ。高校時代のつらく、厳しい練習をやり遂げてきたのも歌があったから。つかの間の休日にはカラオケ店で一日中、歌い続けたこともあった。学校祭のステージで披露した歌声の評判はSNSなどでたちまち広がり、早くもファンが出来た。歌手の夢も、心の奥にあり続けた。

 両親は、決断を尊重してくれた。考えた末、今ある実力を評価してくれた日本ハムで、プロに進むことを決めた。プロ入り後も休日は、午前中に練習してからボイストレーニングに通った。周囲にちゃかされることもあったが、もう1つの夢も閉ざさずモチベーションアップにつなげてきた。

 順風満帆に見えたプロスタートも、大きな挑戦を強いられていた。敦賀気比ではエース兼4番。15年センバツでは全5試合で完投し、防御率0・40で優勝投手になった。投手で名実を高めたが、プロでは高い潜在能力を引き出すため野手に専念することになった。「野球って、こんなに難しかったんだ」と痛感し、壁の連続だった。

 野球では花形とされる遊撃で、一から守備をたたき込まれた。2軍での特守後は泥だらけになっても「うまくなりたいから」と笑顔であり続けた。ポテンシャル十分の打撃は昨オフ、巧打者・近藤の自主トレに同行。両足をつるアクシデントもありながら、技術を学び、着実にプロ初安打へと近づいていった。

 今年、目標だった開幕1軍を逃した。2軍で声をかける前に「元気ですよ!」と無邪気に宣言された。ボイストレーニングは、いつしかカラオケに代わり、リフレッシュ方法の1つになった。今はプロ野球選手の夢を、真っすぐに伸ばそうとしている。【日本ハム 田中彩友美】