衣笠さんの思いも胸に、龍谷大平安(京都)が4年ぶり34度目の夏切符をつかんだ。昨夏の決勝で打ち込まれたエース小寺智也投手(3年)が、4安打完封勝利。同じ舞台で悔しさを晴らした。今年4月に亡くなったOBで元広島の衣笠祥雄氏も願っていた100回大会出場。悲願の甲子園で次は春夏通算100勝を目指す。

 ゲームセットの瞬間、原田英彦監督(58)の目に涙はなかった。主将の松田憲之朗内野手(3年)ら、目の前には号泣する選手たちがいた。「なんかすっきりしてますね。もうちょっとぐっとくるかなと思ったんですけど、やっぱりこの大会に期するものがずっとあったんで。それ以上にやつらが頑張ってくれた」。インタビューに答えていると、少しだけ声が震えた。

 エースの小寺が4安打完封と頼もしい投球を見せた。昨夏の決勝。小寺は2番手で登板したが、3回までに11点差をつけられた。今大会前に初めて、敗れた試合の映像を見た。「去年の負けを意味のある負けにしないといけないと思った」。悔しい気持ちを思い出し、同じマウンドでリベンジを果たした。

 試合前のベンチ。原田監督は1通のメールを読み上げた。「今日、衣笠が京都に帰って来ました!応援してくれてます」。今年4月に亡くなったOBの衣笠氏と親しかった知人から、前夜に届いていたメール。「僕の中でもすごくありがたかったし、よっしゃ、やろう、という気持ちになりました」。原田監督とナインは、また気持ちを1つにした。

 昨年11月の食事会の際に衣笠氏と撮影した写真を、原田監督はグラウンドの監督室に飾っている。腕を組み「来年の夏、頼むぞ」と託された瞬間。この夏は試合のたびに、バッグに忍ばせた。周囲の期待の声に、大会前から眠れない日々が続いた。決勝前日の夜も午後6時半に目を閉じたが、眠りについたときは12時を回っていた。「100回大会、これが俺の最後の仕事かなと。そういう思いを持っていました」。進退をかける思いで挑んでいた。

 やっとつかんだ甲子園春夏通算100勝の挑戦権。「絶対100勝しないと意味がないので。まだこれからしんどい思いをしよう。でもしんどい思いの先にはすごいものが待っている。そうして向かっていきたいと思います」。主将松田の選手宣誓から始まったこの夏。平安に風が吹いている。【磯綾乃】

 ◆龍谷大平安 1876年(明9)に「金亀教校」として創立された私立校。08年から現校名。生徒数1248人(女子481人)。野球部は1908年(明41)創部。部員数94人。甲子園は夏は34度目、春は40度出場。夏は3度、春は1度優勝。主なOBは衣笠祥雄氏(元広島)桧山進次郎氏(元阪神)ら。所在地は京都市下京区御器屋町30。関目六左衛門校長。

◆Vへの足跡◆

2回戦9-2京都八幡

3回戦10-0東稜

4回戦21-0大谷

準々決勝11-0乙訓

準決勝8-1東山

決勝11-0立命館宇治