守っても植垣なら、打っても植垣だった。延長11回2死満塁。奈良大付・植垣裕(ゆたか)外野手(3年)のこの日3本目の安打が中堅手の頭上を越えた。ベンチの田中一訓監督(44)が「時間が止まりました」と身を乗り出した一打が、過去5度はね返された夏の甲子園への扉をこじ開けた。サヨナラ初優勝のヒーローになった植垣は「僕らは周りから『史上最弱のチーム』と呼ばれてきました。でもみんなでは『最弱の底力や』と話してきました」と胸を張った。

 昨秋から130近く臨んだ練習試合で、50試合は負けた。それでも「最弱」は意地を見せた。冬にバットを振り込み、緩い球を引きつけて打つ練習を重ねた。今大会の総イニング35回1/3で3者凡退は決勝の8、10回の2イニングだけ。粘りも一線級の強力打線を作り上げた。

 守備でも救っていた。天理に4点リードを追いつかれた9回だった。2点差に迫られ、なおも2死満塁のピンチ。天理・宮崎秀太外野手(3年)の打球は中前へ。それを処理したセンター植垣は、同点阻止のホーム返球はせず、三塁を狙った一塁走者を好送球でアウトにした。「あのプレーで流れを断たれました」と天理・中村良二監督(50)は天を仰ぎ、三塁の石塚海斗主将(3年)は「あんないい球がくるとは…」と仰天。敵も味方も驚くビッグプレーだった。

 この場面、天理・宮崎の適時打による2人の生還を認めた球審のジェスチャーを、奈良大付ナインは、三塁アウトが本塁生還より早かったため1点どまりと勘違い。9-8で勝ったとぬか喜びし、本塁に整列しようとグラウンドで跳びはねて喜んだ。もともと2点目は認められており、審判が同点であることをマイクで説明し、試合は続行。1度は肩すかしの“ゲームセット”だったが、2イニング後、劇的勝利が待っていた。「今までの人生で一番うれしい日です」。田中監督の声が弾んだ。【堀まどか】

 ◆奈良大付 1925年(大14)南都正強中学として創立の私立校。学制改革で48年に南都正強高校となり、96年から現校名。生徒数895人(女子303人)。野球部は60年創部。部員数96人。甲子園は春1度、夏は初出場。OBに元横浜の八馬幹典、元巨人の歌藤達夫ら。所在地は奈良市秋篠町50。辻寛司校長。

◆Vへの足跡◆    

2回戦12―1奈良北

3回戦11―1桜井

準々決勝7―4法隆寺国際

準決勝14―2橿原学院

決勝10―9天理