野球記者歴40年の米谷輝昭記者のコラム「ヨネタニーズ・ファイル」が始まります。100回大会のプレーから、歴史のファイルをひもときます。

 100回目の第1球は、146キロの速球だった。午前10時42分、星稜(石川)奥川恭伸投手(2年)が藤蔭の1番打者橋本に投じた球だ。「スライダーがよくなくて…。まっすぐで行こうと思いました」。奥川が記念大会の第1球を振り返った。

 第1回大会(1915年)の第1球も速球だった。鳥取中(現鳥取西)の先発だった鹿田一郎が同校野球部史にこう書いた。「大会の雰囲気、いかめしい始球式の光景にすっかりあがってしまった。確かストライクだったと思います。とてもカーブは投げられなかったので、直球をど真ん中に決めたように思います」。失策もあって、いきなり2点を失った。

 奥川は松井秀喜氏が始球式を行った直後、握手を交わした右手で第1球を投じた。「分厚かったです。でもそれは意識せず、試合に向かいました」。こんな冷静さ、気持ちの切り替えが好結果をもたらした。

 第1球はボールながら3球続けた速球で二ゴロに。この日の先発6投手の中、1回3者凡退は奥川ただ1人だった。【米谷輝昭】