中越(新潟)の1994年(平6)以来の初戦突破はならなかった。慶応(北神奈川)に2-3で9回サヨナラ負けを喫した。これで15年滝川二(兵庫)戦、16年富山第一(富山)戦に続き、出場3大会連続のサヨナラでの初戦敗退になった。先発の右腕・山本雅樹投手(3年)と、右翼手から登板した左腕・山田叶夢(3年)が交互に登板する小刻みな継投。投手と右翼手で入れ替わり、5度の投手交代で接戦に持ち込んだが、甲子園勝利にまたもあと1歩、及ばなかった。
三塁側スタンドの中越応援団の悲鳴と、一塁側の慶応応援団の歓声が入りまじった。その中で、マウンドの山田はがっくりと肩を落とした。
2-2の9回裏2死一、二塁。この場面で山本に代わって山田が登板した。慶応の1番打者・宮尾将(3年)に3ボール1ストライクから直球を投じる。「外を狙ったが、ボール1個、内に入ってしまった」。中堅に鋭い打球を打ち返された。小出颯太中堅手(3年)の返球も及ばず、二塁走者の生還を許した。
勝利が手の届くところにあった。4回から8回までは慶応を1安打に抑えていた。先発の山本を、山田が4回2死無走者から救援した。それを皮切りに交互に投手と右翼手で入れ替わる。投手交代は5度。山田は計3度救援のマウンドに立った。山本も山田と入れ替わるように2度、救援登板した。
相手の左打者が続く上位打線にかかるときは、左腕の山田が、右打者の下位打線には右腕の山本が投げる。「こういう練習はしていなかったが、いつも通りの集中力を持てば、抑えられると信じていた。その通り、2人は素晴らしい継投をみせてくれた」。本田仁哉監督(41)はねぎらった。
先発から右翼に回った山本は本田監督に「また投げるから」と告げられていた。「だから守備でも自分が投げているつもりで見ていた」。山田も「試合前から、いつでも投げられる準備をしていた」。春先に左肘の手術をし、夏の大会に1試合投げただけ。甲子園はほぼ、ぶっつけ本番だった。甲子園入りしてからの練習で調子を上げ、「秘密兵器」になっていた。
執念とも言える継投で接戦を演じた。それでも勝てなかった。試合後、山本は山田に言った。「悪かった」。サヨナラ負けの前、2死無走者から四球を出したことに「自分がピンチつくってしまった」と悔やんだ。山本の言葉に山田も同じく「悪かった」と返した。
2人には悔しさの一方、安堵(あんど)感もあった。昨秋から山田、山本の継投で中越は県内上位の力をつけてきた。だが今春は山田のケガで実現しなかった。「最後に甲子園で2人で投げられた。うれしかった」。山本は目を真っ赤にしながらも落ち着いた口調で言った。
「私の力不足。選手には申し訳ないことをした」。本田監督は険しい表情で言った。15、16年の連続出場時に経験した連続初戦サヨナラ負けの悔しさが、今夏の2年ぶりの出場の土台だった。またもや高い壁を目の当たりにした。「全国で勝つことの難しさを味わった。後輩にはこれをバネにしてもらいたい」と小鷹葵主将(3年)。この悔しさを忘れずに-。中越の再挑戦が始まる。【斎藤慎一郎】