延長10回、127球目のウイニングショットはスライダーだ。下関国際(山口)のエース鶴田は花巻東の3番田中を一ゴロに仕留めると、ガッツポーズを見せた。「絶対負けられないと思っていました。最高です」。この日最速146キロを計測した速球ではなく、勝負に徹した投球を振り返った。

 打線はコツコツ、しぶとかった。主砲鶴田が無安打に終わる中、7番西山が7、9回に2度、同点打を放ち、10回に3番川上が決勝打。単打ばかりの13安打で、4点をもぎ取った。

 3季連続3度目の甲子園で、泥臭くもぎ取った創部54年目の初勝利に、坂原秀尚監督(41)は誇らしげだった。「とにかく一生懸命の子たちなので、勝たせてあげたかったんです」-。不祥事明けの05年8月に監督就任すると、部員は1人だけ。現ロッテ宮崎敦次投手が1年だった08年夏、新チームは部員5人、秋の公式戦にも出られなかった。

 「弱者が強者に勝つ」をモットーに部員を勧誘。アパート、寮住まいの部員とともに歩むため自腹で引っ越したこともある。宮崎と同期の嶋大将コーチ(25)は、躍進の原動力を「監督の情熱しかない」。部員は1日2000スイングを続けた。昨夏の甲子園初出場後は週に1度、鶴田に限ってはセンバツ後は毎日、午前5時から800メートル走10本をこなしてきた。

 「粘りの野球、食らいつく野球ができました」と喜ぶ坂原監督に、浜松主将がウイニングボールを渡した。壁は破った。勲章を1球では終わらせない。【加藤裕一】