原新監督率いる巨人のドラフト1位は、全国的には無名に近い最速152キロ左腕、八戸学院大・高橋優貴投手(4年=東海大菅生)だった。北東北大学リーグで史上最多の301奪三振を記録したが、優勝や全国舞台の経験はない。まさかの外れ外れ1位の指名に驚いた高橋は、憧れの存在だった菅野に弟子入りを志願。1年目から先発ローテーション入りに挑む。

高橋は“憧れの恋人”との再会が待ちきれず、笑顔を止めることができなかった。高校入学直前の12年春、一目ぼれした相手は巨人菅野。当時は東海大でプロ浪人中だったブルペン投球に心奪われた。「今まで見てきた中でレベルが違った。こういう人がプロに行くんだなと分かった。ほんの少しでも近づけるように努力してきた」。今ポストシーズンでノーヒットノーランを達成した姿に、ほれ直したばかりのドラフトは“本命”を射止めたような興奮だ。

練習から直球も変化球も1球1球、意図を持って投げ込む姿が忘れられない。言葉でなく背中で送られたメッセージだった。「投球術は日本のエース。一番近くで、1つでも多くのことを吸収させていただきたい。楽しみ」。それ以降、座右の銘は一球入魂。プロでの意気込みを色紙にも力強く書いた。

プロ入りの夢を描いたのは、07年オールスター第1戦だった。9回に登場した阪神藤川の姿。打者3人に対し、有言実行の全球直球勝負での奪三振は今でも鮮明な記憶が残る。良き指導者を求め、中学時代は元巨人の原田明広監督(52)が指導する友部シニア(茨城)に所属。電車などを乗り継ぎ、約1時間かけて通った。東海大菅生でも元中日の若林弘泰監督(52)の指導を受け「努力し続ける大切さを学びました」と感謝する。

中高ではエースになれなかったが、八戸学院大・正村公弘監督(55)との出会いも成長を促進した。球の速さだけだった売りが、金足農・吉田も学んだ投球の軸を構築。下半身を使ったフォームを身につけて制球力も向上。今夏にはテークバックを小さくする新フォームにも取り組んだ。スライダーだけでなく低めのスクリューボールでも三振をとれるなど、幅が広がった。今季最多勝を獲得した西武多和田の299奪三振を超えるプロ仕様の「ドクターK」へ変わりつつある。

1位指名はテレビに向かって「えっ、ウソでしょ」と二度見するほど、本人にとっても驚きだった。「巨人は伝統ある強いイメージ。早く1軍のマウンドに上がって、先発ローテーションを任される投手になりたい。新人王をとれるように頑張りたい」。高橋前監督を超える巨人高橋に名乗り出るつもりだ。【鎌田直秀】