苦楽を乗り越えて、ヤクルトが20年ぶりの日本一に輝いた。その間、セ・リーグ優勝は15年の1度のみ。最下位は、6度も経験した。01年の日本一を2軍監督として知る小川淳司GM(64)は「特に今年は、選手をたくましいと思うシーズンだった」と話した。

日替わりのヒーローが誕生するのが、今季のチーム。投手も野手も、みんながヒーローになった。若手は奥川、高橋の先発陣に加えて、中継ぎでは近藤や今野。野手では塩見が台頭した。ベテランの石川、青木はチームの屋台骨だ。

CS、日本シリーズと接戦を制したのは、投手陣の安定が大きかった。シーズンを通して、昨年よりも直球の割合が大幅に増えたという。与四球は減り、奪三振が増加。被本塁打も増えたが、それは直球勝負のもろ刃の剣。小川GMは「直球の割合は、圧倒的に増えている。(被本塁打は)攻めていった結果ということ」と明かす。

特筆すべきは、助っ人外国人の人柄だ。スアレスとマクガフはともに3年目で経験十分。オスナ、サンタナは新加入で不振な時期もあったが、熱心に練習に取り組んで乗り越え、支え合った。小川GMには「自分の成績だけを考えているという感じがなかった。チームの勝利のために一生懸命やってくれていた」と見えていた。

20年前に日本一となったチームは、投打で日本を代表する選手が並んだ。当時、高卒1年目で2軍にいたOBの坂元弥太郎氏(39)は「とにかく1軍のメンバーは豪華。高卒1年目の選手からしたら遠い場所だった」と言う。01年に1軍バッテリーコーチを務めていた中西親志スカウト(61)は「改めて見ると、すごいメンバーだったんだなと思う」と振り返る。その年の春先、ブルペンで球を受けた古田捕手が「今年は優勝するぞ!」と宣言していたことを、覚えているという。「その時、今年はいけるという手応えがあったのかなと思う」と明かした。その時、守護神だった高津監督をはじめ、宮出ヘッドコーチや伊藤、石井両1軍投手コーチ、池山2軍監督、土橋育成チーフコーチら、当時の主力選手がそろった今年の首脳陣。その巡り合わせは、偶然ではない。今春キャンプには、20年前の日本シリーズMVPを獲得している古田氏を臨時コーチに招聘(しょうへい)。中村の捕手としての成長につながった。

前回セ・リーグを制した15年は、助っ人投手陣が活躍。打線は首位打者と最多安打の川端、打点王の畠山(現2軍打撃コーチ)、本塁打王と盗塁王を獲得した山田と、個人成績も目立った。一方で、今年は野手でのタイトル獲得は村上の本塁打王だけ。小川GMは「数字を見ると、今年は飛び抜けて活躍した選手はいない。今年はまさに『チーム』としてたくましく感じた」。チーム一丸。誰ひとり欠けても、たどり着けなかった日本一だ。【保坂恭子】