元プロ野球選手、村田修一(42)。現役時代はNPB通算360本塁打のスラッガーとして活躍。「男村田」と親しまれ、横浜(現DeNA)、巨人、侍ジャパンで主軸を張り、今季からロッテの1軍打撃コーチに就任しました。そんな村田の長男閏哉(じゅんや)君は06年2月7日、体重712グラムの超低出生体重児として生まれ、生死をさまよいました。

日刊スポーツでは、巨人にFA移籍した12年に村田家をインタビュー。「生存率1割」を乗り越えて6歳となった閏哉君と家族の強い絆が、村田のフルスイングを支えていると知りました。

ちょうど10年が経過した22年12月中旬。閏哉君と家族の今を取材しようと、村田家を訪問しました。閏哉君が17回目の誕生日を迎えた2月7日、「家族の力 ~村田家 あれから10年~」をお届けします。(敬称略)

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高校2年生の村田閏哉は、弟2人に挟まれながら、自宅のソファに身を沈めていた。10年前に小1の自分と次男凰晟(こうせい)が、村田に後ろから抱きかかえられている写真が掲載されたインタビュー記事のコピーを手にしていた。

 閏哉 写真撮ったのは記憶あるんですけど。キャンプの時? この写真は撮ったような記憶があるような、ないような…。

ローテーブルを挟んで座っていた、母であり村田の妻の絵美から「小さかったから、記事読んでないよね?」と聞かれてうなずくと、兄弟3人で記事に目を落とした。ここから約5分間、年の瀬の村田家のリビングは沈黙に包まれた。

10年前の記事を静かに熟読する息子たちの様子が気になったのか、父村田修一がリビングに姿を見せた。

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前回インタビューからこの10年間、最も環境が変化したのは村田修一だったかもしれない。

巨人からBC栃木に移籍し、現役を引退。巨人の2軍、1軍でコーチを務め、今季からロッテ1軍打撃コーチに就任した。独立リーグに舞台を移しても現役にこだわり、引退後は球団やカテゴリーにかかわらず指導者としてユニホームを着続けてきた。

その信念には、子どもたちの存在が大きかった。

村田修一の「家族の絆」全文は下記リンクから、日刊スポーツ・プレミアムでご覧ください。

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【村田修一】「生存率1割」の長男・閏哉くんが17歳 10年ぶり自宅訪問

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