近鉄、日本ハム、楽天で監督を務めた梨田昌孝氏(72=日刊スポーツ評論家)が5日、出身地の島根県浜田市内の石央文化ホールで開催された浜田市新市誕生20周年の記念式典で「浜田市名誉市民」の称号を顕彰された。
久保田章市市長から全国に「浜田」の名を知らしめた功績をたたえられた梨田氏は「これまで支援していただいた浜田市民の皆さまに感謝します。これからも微力ながら野球で恩返ししていきます」と謝辞を述べた。
プロ野球界の発展に貢献してきた同氏は、現在も浜田市内で「梨田昌孝杯学童少年少女野球大会」を開催し、地元の「浜田応援団」の団長を務めるなど、地元とつながってきた。
浜田市名誉市民は梨田氏で20人目、野球界からは初の栄誉。スポーツ関係では日本体操界に五輪メダルをもたらした竹本正男氏(故人)が92年(平4)に授与されて以来、2人目になった。
梨田氏は浜田市立第1中学から浜田高に進学し、71年に正捕手として20年ぶりにセンバツ出場を果たしたが坂出商に、夏の甲子園大会も池田に、いずれも1回戦敗退。その後、日本代表メンバーに選ばれた。
ドラフト2位で近鉄入り。リーグ優勝を果たした79年から、5年連続でパ・リーグ阻止率NO・1の球界を代表する捕手。ベストナイン賞3度、ゴールデングラブ賞4度。88年に引退した。
その後、近鉄バッテリーコーチ、2軍監督を経て、00年1軍監督就任。01年に「いてまえ打線」で12年ぶりのリーグ優勝。球団消滅の04年シーズン限りでユニホームを脱いだ「最後の近鉄監督」で知られる。
日本ハム監督だった09年もパ・リーグ制覇を果たし、4シーズンで指揮をとった。楽天でも3シーズン監督を務めるなど、先を見通しながらのフレキシブルな采配でチームを束ねた。
この日の記念式典後、梨田氏は「自己と組織の育成法‥梨田流コミュニケーション術」を演題に講演に臨んだ。浜田での思い出からプロ野球人生を得意のダジャレを交えてたどりながら地元と交流をはかった。



