日刊スポーツの阪神担当が、チームや選手の実像に迫る「猛虎リポート」。今回は今季限りで現役引退する原口文仁内野手(33)の不屈の歩みです。09年ドラフト5位で帝京(東京)から入団した当時から知る元阪神トレーナーで「甲子園スポーツトリートメント治療院」院長の手嶋秀和氏(43)が、生きざまを明かしてくれました。

   ◇   ◇   ◇

「僕、レギュラーになりたいので、新しいチャレンジをしました。このままじゃレギュラーになれないので」。今年の開幕前、原口は手嶋氏にそう言ったという。プロ16年目、33歳。新たな打撃フォームを模索した。そのまま代打の切り札として生きる道もあったかもしれない。それでも、最後まで定位置獲得に挑戦することを選んだ。

帝京から09年ドラフト6位入団したが、20代前半は腰痛に悩まされ、満足に動けない時期もあった。手嶋氏には忘れられないシーンがある。ふと寮の食堂に立ち寄ると、原口が目の前のコーチに訴えている。「僕、練習がしたいんです。練習がしたいんですよ!」。その目には涙があふれていた。「すごいですよ。練習がしたいって言って泣く選手なんていないです」。ほとばしる野球への情熱は、みんなに伝わった。当時、マートンが2軍調整にやってくると、原口はすぐに近づいた。「マートン、バッティング教えて! どう考えてるの?」。主力と2軍、当時立場が違う助っ人にもぐいぐい質問。「なかなかないチャンスでしょ」と、こともなげに言った。

約3年間の育成期間も懸命に食らいつき、16年に支配下復帰。同年4月の1軍デビューまで実に7年を要した。18年9月には、桧山進次郎が持つ代打の球団最多安打記録にあと1と迫る中で、左手小指を骨折。全治2カ月でシーズン中の復帰が絶望視されたが、本人は諦めなかった。本来必要なギプスでの完全固定を行わず、手嶋氏とともにバットを独自改良。テーピングを何度もぐるぐると巻き直し、握っても痛くないグリップをつくり出した。そして復帰初戦、代打でHランプをともし、見事に球団記録の23安打に並んだ。「これは手嶋さんと打ったバットだから」。試合後、原口は努力の跡が刻まれたバットをそっと手渡した。

誰もがその人間性に一目置く存在。そんな不屈の男に、試練はまた訪れる。19年1月下旬、ステージ3の大腸がんと診断された。手術を終えて、治療に励んでいた2月中旬。原口は、手嶋氏の携帯電話を鳴らした。「今の投げ方、どこかおかしいよ」。チームは春季キャンプ中。テレビ中継で練習試合を見守っていた原口は、仲間のマウンドの小さな異変に気づき、連絡せずにはいられなかった。「その後タイムを取ると、肘が悪いですと言ってきたんです。原口はその時、がんの治療中だった。自分が一番大変なのに」。手嶋氏は驚くばかりだった。

原口の引退セレモニーが行われた2日ヤクルト戦。阪神のファームから選手たちが次々に、そして江越大賀氏や三菱重工West北條ら、かつての仲間たちも続々と勇姿を見に訪れた。原口の人柄、残した功績が、その光景に表れていた。

【阪神】引退の原口文仁「まだ道半ば。最後までやり抜く」川藤幸三氏から花束贈呈、最後は胴上げ