行司の木村光之助(50=高田川)が、初場所から幕内格に昇進した。土俵上で取組を合わせる仕事に変わりはないが、いくつか変化があった。

今場所4日目に初めて、幕内土俵入りの先導を務めた。「十両土俵入りの時とは歓声が違います」。装束も変わった。菊綴(ふさ飾り)や軍配の房の色が緑白から紅白になった。すでに三役格に昇進していた木村寿之介や式守勘太夫から譲り受けていた菊綴を付けた。装束は、高田川部屋の先輩行司でもある38代木村庄之助から譲られたものと、峰崎親方(元幕内三杉磯)の後援者から贈られたものの2着を今場所初披露した。

番付表の文字は掲載位置が1段上がり、少し大きくなった。光之助は番付書きの助手を務めており、木村要之助が書いた番付表を読み合わせで確認した時はは「おぉ」と感慨深かったという。

長崎県雲仙市出身。花籠親方(元関脇太寿山)と遠戚関係があり、床山として声をかけられた。独立して花籠部屋を興す前のころ。1991年(平成3年)3月、中学を卒業してまず、花籠親方が部屋付きだった元横綱初代若乃花の二子山部屋に入った。卒業の寄せ書きには「早く大銀杏(おおいちょう)を結えるようになりたい」と書いた覚えがある。ところが、床山の定員に空きがない。マゲの結い方を教わりながら、見習いとして空きが出るのを待った。

「二子山親方のおつかいに行ったり、『あんちゃん』と呼ばれて散歩について行ったりしました」。そんなある日、本場所中の留守番の時に転機があった。「BS中継を見ていたら、物言いがついて、軍配通り…。行司がかっこいいと思いました」。夏巡業中に若い行司が退職し、行司に空きが出た。花籠親方に呼ばれてこの事情を知らされると「行司になります」と志願した。「そんなに早く決断していいのか?」と心配されたが、決意は固かった。

日本相撲協会に入門の書類を提出した2日後、床山の1人がやめて空きが出た。「ほんの2日の差で、床山になっていたかもしれないんです」。

そして91年九州場所で、行司として初土俵を踏んだ。原則的に年功序列の世界で、光之助は初土俵から34年以上かけて幕内格にたどり着いた。

「あそこで僕はBS放送を見ていなかったら、どうなったか分かりません。不思議なこともあるんだと思います」。今や真面目な仕事ぶりは同僚から信頼され、番付書きの助手を務めるほど相撲字の技術も高い。

「(昇進の)早い遅いはその時によりますが、少しずつ上がるのはうれしいです。行司道を真面目に勤め上げていきます」。今場所、高田川部屋の千秋楽パーティーは、光之助の昇進祝賀会も兼ねて行う。11月の九州場所前には、地元長崎での昇進祝いの場を予定している。【佐々木一郎】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

十両格だった当時の木村光之助(2025年9月撮影)
十両格だった当時の木村光之助(2025年9月撮影)