常に「崖っぷち」をチャンスに変えてきた。俳優小日向文世(68)。23歳で演劇界に飛び込み45年、名バイプレーヤーの地位を確立しながら、放送中のテレビ東京系「嫌われ監察官 音無一六」では、古希を目前に連続ドラマ主演という大きな挑戦。不安をちらつかせながらも、謙虚に、慎重に役と向き合っている。その真摯(しんし)な姿勢と人柄に迫った。【三須佳夏】

★負けてたまるか

13年に第1弾を放送以降、2時間スペシャルを全6回経て、小日向の代表作のひとつでもある人気シリーズが、連ドラ化に至った。

「話を聞いたときは、不安の方が大きかったです。正直なところ、2時間ドラマでも本当にしんどかったので(笑い)。でもこの年で連続ドラマの主演をいただけるっていうことが幸せだなって思いましたね」

演じる音無一六は、監察官でありながら捜査にも介入し難解な事件を解決していく。膨大なセリフ量に「どこまで染み込ませられるのかなっていう不安が大きい」と苦笑いを浮かべる。セリフを覚えるため、帰宅後のルーティンも変えた。

「家に帰ると、リラックスするためにYouTubeで曲を聴いたりするんですけど、今、その時間は省いてます。かなり追い込まれた状態です。とにかく車の移動の中ではセリフを入れてるし、帰ってもご飯食べた後はすぐテーブルの上で台本開いています。(セリフ量は)いつもの10倍ぐらいあるんじゃないかな」

2時間スペシャルの約10日間の撮影に対し、連ドラは約2カ月。約6倍の長期間で肉体的、精神的にも大きな負担を伴う。クランクイン前は入念な体調管理を行った。

「よく睡眠を取ることを心掛けていました。でも、寝るのを惜しんでセリフを入れなきゃいけないので(笑い)。その兼ね合いですね。最低限これだけ寝なきゃ、とかはありました」

ただ、過酷な撮影期間を乗り越えること、そして連ドラの主演をやり遂げることが、さらなる自信につながると確信している。

「『負けてたまるか』って思っています。この年でやり通せた時に、『まだいけるんだな』って、自分に言い聞かせることができる。役者としてこれからやっていく上でも、ひとつ、自信が付いたらいいなって」

★27歳気づき財産

77年に「オンシアター自由劇場」に入団。19年間在籍した。

「芝居の面白さに気付いたのが27歳。劇団にいた時間は自分にとってとても大きな財産になりました」

95年に年下女性と結婚し、長男をもうけた。だが、翌年96年に劇団が解散。危機的状況に追い込まれたが、至って冷静だった。当時を「全く危機感はなかった」と振り返る。

「劇団が解散したことによって、1人になったことによって『新たな世界が開けたな』っていう。そういう意味ではそこから映像に入っていけるなっていう。すごい楽しみでした」

解散後は現在の事務所に所属するも、仕事はほぼゼロに近い状況。42歳で貯金が底を尽きた。

「前向きなはずだったんですけど、全然仕事が来なくてね(苦笑い)。なんで? って思っていました。貯金はなくても借金はなかったんですよ」

転職する気もさらさらなかった。「『不思議となんとかなるだろう』って思っていた」と話す。

「うちの女房もそう思っていたみたいで(笑い)。だから一日中家にいても『なんか仕事したら?』とかって、一度も言われたことがなかった。それに救われましたね」

心の余裕は劇団での経験値からだったと分析する。

「19年間、芝居漬けで、ずっと演出家、看板女優の方々にいつも厳しく指導されていたから、フリーになった時にあまり怖くなかった。仕事さえくれば、そこで応えられるって思っていました」

★「HERO」転機

ターニングポイントとなったのは01年に放送された木村拓哉主演のフジテレビ系連続ドラマ「HERO」。事務官役を好演し、一気に知名度を上げた。

「レギュラーで出演させてもらったことによって“俳優 小日向”っていうのを認知してもらえました」

名脇役としての評価は定着。08年のフジテレビ系連続ドラマ「あしたの、喜多善男~世界一不運な男の、奇跡の11日間~」で晴れて主演し、統合失調症で分離した1人の人間の2役という難役を務めた。

「脇でちょこっと出て『なんか味のある俳優だねえ』なんて言われるぐらいが一番ちょうど良いのにな、なんて思っていましたけど(笑い)。やっぱり主演はうれしかったですね」

今回、連ドラの主演を引き受けた背景にも、強い覚悟がある。

「『大丈夫かな~、数字(視聴率)取れるかな』っていうのが気になりました(笑い)。でも、これだけ俳優がいる中で主演をやらせてもらえるということが『ありがたいな』って。もう、年も年ですし、もしかしたら最後の主演かもしれないので」

★「人の心に残る」

芝居を「辞めようと思ったことは1度もなかったし、飽きることもなかった」と話す。演じる意義を聞いた。

「表現者として、自分を使って、自分を見てもらうことによって、自分という者を自覚してもらって、『小日向文世がここにいる』っていうのを知ってもらいたいというか。生まれてきて、ここにいるんだっていうことを知ってもらいたい。そういう思いが強かったんです」

2年後には70歳を迎える。生涯を「役者で終えたい」とも話す。

「僕が死んだ後に『あの作品のあの役を演じた小日向を見てみたいな』って思われたい。人の心の中でずっと残り続ける作品の、その役で生きていたいって思います。今みたいに走り続けてぱっと倒れたら、それはそれで、そういうのもいいのかな、って最近思っていて…。年を取っても、セリフがなくても『そこに立っている小日向さん、じいちゃんになっても味があるね』『あそこに座っているだけで良いね』って言われたい。現役のままポックリいけたら良いな」

★息子には厳しさを

近頃俳優業を始めた2人の息子、星一(26)と春平(24)には、自身が山や谷を越えてきたからこそわかる、現実の厳しさを伝えた。

「日の目を見るまでは食うや食わずの生活だったから、それは覚悟した方が良いよ、っていうのは言いました。食えなくなるのは当たり前。そんな気分でいないと。それでも芝居を続けたい、っていうか芝居に対する意欲があるならやればいい、ってことは伝えました」

3人での親子共演について聞くと、「嫌ですね~。まだやりたくないです」と、不敵な笑みを浮かべる。

「本人たちがしっかり俳優として自立するようになったらかな。それで僕がちゃんと生きていたら、ですかね」

全ての経験が今に生きて、唯一無二の味わいと存在感を届けている。

▼「嫌われ監察官 音無一六」祖父江里奈プロデューサー

サスペンスドラマ特有の難解な専門用語も多い長ゼリフをいつも完璧に覚えていらっしゃるので、役者という仕事に真摯(しんし)に向き合う俳優さんなんだと感じます。それでいて、現場では遠藤憲一さんを始めとした他のキャストたちと冗談を言ってふざけ合う様子がとても面白く、周りがいつも明るい雰囲気に包まれています。目上の方に対して少々気が引ける表現ではありますが「かわいいおじさん」という印象があります。

◆小日向文世(こひなた・ふみよ)

1954年(昭29)1月23日、北海道生まれ。東京写真専門学校を卒業。映画「銀のエンゼル」で初の主役、2011年「国民の映画」第19回読売演劇大賞「最優秀男優賞」を受賞。12年「アウトレイジビヨンド」で第86回キネマ旬報ベスト・テン「助演男優賞」を受賞。16年のNHK大河「真田丸」に豊臣秀吉役で出演。