元プロレスラーで参議院議員も務めたアントニオ猪木さんが死去したことが1日、分かった。79歳だった。

お笑いコンビ、ますだおかだの増田英彦(52)がこの日、自身のブログを更新し、猪木さんへの感謝の思いをつづった。

ますだは「今から35年前、高校3年生の夏休み。当時、夢が2つあった『漫才師』か『プロレスラー』。『漫才師』は、小学生の頃から憧れてなりたかったけど、相方も見つからず…。『プロレスラー』は、高校で柔道部に入ってたけど、背も低いし…。ヘタレすぎて、どっちも挑戦する勇気も自信も無かった。そこで見つけたのが、プロレスのリングアナウンサー。アントニオ猪木さんに手紙を書いた。『僕を新日本プロレスのリングアナウンサーにして下さい』」と書き出した。

そして「返信用に、切手を貼った封筒・便箋・ボールペンを入れて送ったけど、当然猪木さんから返事なんか来るはずがない。次に、新日本プロレスに『僕を新日本プロレスのリングアナウンサーにして下さい』と履歴書を送ったら、すぐに返事が届いた。『現在、当社は大卒しか採用してませんし、入社してもリングアナになれるかどうかは、人事の問題なので約束できません。それでも良ければ、大学卒業したらご連絡下さい』」と続けた。

増田はそれでも諦めきれず、新幹線で東京に行き、新日本プロレスの事務所にアポなし訪問したほどだったという。結局「卒業したらもう1回挑戦しようと決め“リングアナになったら英語が出来たら方が便利かも”と関西外国語短期大学に進学。でも、そこで同じくプロレスファンで野球ファンでお笑いファンやった岡田と出会って、結局漫才師に…」とてんまつをつづった。

猪木さんとは漫才師になって9年後、手紙を書いた時から15年後に初めてテレビ共演できたという。「番組の中でも猪木さんに書いた手紙の話もさせて頂き、生放送終了後、猪木さんに『明日、僕にとって大事な日なんで、闘魂注入して下さい!』とお願いして闘魂ビンタをいただいた。翌日『M-1グランプリ』優勝。その後、リングアナウンサーの夢も叶う。新日本プロレスではなかったけど、猪木さんの弟子・橋本真也さんが立ち上げた『ZERO-ONE』という団体で、大阪城ホールと日本武道館の大会でリングアナウンサーをさせて頂いた」。

増田は「猪木さんの言葉『この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せばその一足が道となる、迷わず行けよ、行けばわかるさ』 踏み出した結果、こんな人生になってます(感謝)」と締めくくった。