【サヨナラ、札幌ドーム〈1〉】夢の大きさで決まる器 中田翔の放物線を育んだ器  

2022年9月28日をもって、日本ハムが札幌ドームを離れます。プロ野球のフランチャイズ制を定着させた功績は計り知れない、球史に残る球場。主として活躍した選手に思い出を聞きました。打の主役はもちろん、中田翔内野手(33)。球場最多の通算98本塁打を放ち、ファイターズの北海道定着に大きく貢献しました。

野球の国から

小早川宗一郎

ホバーバイクに乗って登場する新庄監督。球場の高さと近未来感が演出を加速させた=2022年3月27日

ホバーバイクに乗って登場する新庄監督。球場の高さと近未来感が演出を加速させた=2022年3月27日

「広いという以外は、完璧な球場」

「広いという以外は、完璧な球場だったんじゃないですか?」。札幌ドームで誰よりも多くの本塁打を放ってきた中田だから言える、最大級の褒め言葉だった。

さよなら、札幌ドーム。来季から日本ハムの本拠地が新球場・エスコンフィールド北海道に移る。昨年8月に巨人に移籍した中田にとっても、ひとごとではない。

思い出すのは、日差しを浴びながら必死に汗を流した14年前。「僕にとっては特別な場所でした。1年目、1回も1軍に上がれず、札幌ドームで試合に出るという目標を掲げて2軍の千葉の鎌ケ谷で毎日頑張っていた」と大きなドームでの思いを募らせた。

2007年に入団してから、本拠地で歴代最多の615試合に出場し、同最多の98本塁打、378打点。輝かしい成績を残し、色あせない日々を過ごしてきた。

「あの声援にすごく救われました」

かつての〝家〟への思いは持ち続ける。「やっぱりいろんな感情、思い出があります。それがホームじゃなくなるということに関しては、悲しく思います」と思いをはせた。

不祥事がきっかけで移籍し、現在は巨人の第91代4番として東京ドームのファンを沸かせるが、根底にあるものは変わらない。

98発の中で、一番印象に残っている本塁打は…。「いろいろな感情があったのは、やっぱりジャイアンツに移籍してからのホームランですかね」と5月28日の古巣・日本ハムとの交流戦での1本を挙げた。これが「敵地・札幌ドーム」で最初で最後のホームランだった。

古巣で本塁打を放ち、ヒーローインタビューに臨む。このサイズがスラッガーを育んだ=2022年5月28日

古巣で本塁打を放ち、ヒーローインタビューに臨む。このサイズがスラッガーを育んだ=2022年5月28日

「ファンの皆さんの期待を裏切ってしまうという形でジャイアンツに来て、そこから初めての札幌ドームでの試合だった。どうかなという風に思っていましたけど、あの声援に僕自身もすごく救われましたし、心の底からうれしかった。居心地がいいと言ったらおかしいですけど、今まで13年半、ずっとやってきた球場なので、特別な思いはありました。ありがたいなという気持ちでいっぱいでした」

スタンドを見渡すと、温かいファンの笑顔と、中田の日本ハム時代の背番号「6」のユニホームが見えた。不安な気持ちは一瞬で晴れた。

「打球を上げないと」

誰よりも多くのホームランを札幌ドームに届けてきた。だからこそ、誰よりもその広さに苦しめられてきた男でもある。

両翼100メートル、中堅122メートルで、外野フェンスの高さは5・75メートルと球界屈指の広さ。

「久々にホームに帰って札幌ドームに入ると『やっぱりここ広いなあ』って、毎回思ってた。球団に何回も『狭くしてくれないですか?』って聞いたこともある。タイトルも変わってきちゃうから。フェンスがあれだけ高いから『うわー』っていう思いはたくさんしましたけどね。何本損しているんだとは思う。それはそれで、いい思い出ですけど」

打球を高く上げ、スタンドまで運ぶ。類を見ない技術を身につけた=2020年8月18日

打球を高く上げ、スタンドまで運ぶ。類を見ない技術を身につけた=2020年8月18日

愚痴をこぼしながらも、笑い飛ばせるだけの本塁打を積み重ねてきた。11年から10年連続2ケタ本塁打。20年には、初の本塁打王のタイトルまであと1本となる31本塁打を積み上げた。

もがき苦しんだ分だけ〝攻略法〟も知っている。

注意すべきはフェンスの高さ。

「やっぱり打球を上げないとダメ。ライナー性の当たりは、やっぱり入りづらい。ここ最近僕が打ってるホームランも、札幌ドームだったら入ってないですから。この前の神宮の(9月13日ヤクルト戦)も、絶対入ってないから」

ライナー性ではなく、高い放物線でのアーチが自然と身についた。「しっかりと強いスイングで打たないと、ホームランにならなかったですね」と今の打撃へも影響をもたらしている。

シーズン初安打が不振脱出の1本となり、ベンチでバットにスリスリ。本人も「この1本」に挙げた=2012年4月5日

シーズン初安打が不振脱出の1本となり、ベンチでバットにスリスリ。本人も「この1本」に挙げた=2012年4月5日

今の中田を形作った日本ハム時代。一番印象に残っている1発は…。ありすぎる思い出が整理できず「うーん、どれだろう…。なんかある?」と逆質問。導き出した1本は、栗山英樹監督初年度の12年4月5日、オリックス戦で放った1号ソロだという。

「やっぱり苦しかったし、メンタルが相当おかしかった」と記憶をさかのぼる。初めて開幕4番に座るも、開幕から24打席連続無安打。情けない気持ちであふれそうだった。

そんな中で出たシーズン初安打、初アーチ。「自分は何にもしてない、毎回4打席立って塁に出るわけでもないという状況が続いた。相当キツい状況で出たから、いろんな感情があふれ出たのは覚えてます」。ベンチに戻ると思わずバットを丸刈り頭にスリスリする〝名シーン〟も生まれた。

忘れられない思い出もある。

「ずっと背中を押してくれる気持ちで立てた」

栗山監督になって初めての優勝を果たした12年10月2日。試合がなく、札幌ドームで2位西武とロッテの試合結果を待った。1万5608人のファンが詰めかける中で優勝が決まり、恩師を胴上げした。「あの日のことはすごく覚えていますね。1個前の(09年の)優勝の時は、僕は2軍にいた。1、2軍を行ったり来たりして、ビールかけも出ていないと思う。(12年は)余計にいろいろな思いもあって、すごくうれしかったのは覚えています」と回想した。当時、自己最多の24本塁打を記録。主軸として初めて優勝に貢献した喜びは色あせない。

グラウンドレベルで見守るファンの前で胴上げ。ファイターズらしいグッドショット=2012年10月2日

グラウンドレベルで見守るファンの前で胴上げ。ファイターズらしいグッドショット=2012年10月2日

たくさんの喜怒哀楽を、札幌ドームと歩んできた15年。中田の人生において、重要な1ページになった。移籍してもなお、感謝の気持ちを忘れていない。

「日本ハムファンの方々の声援に、何度も助けられた。試合中もずっと背中を押してくれるような気持ちで打席に立てていたので、感謝してもしきれない。育ててくれたのが北海道日本ハムファイターズであり、日本ハムファンの皆さんであり、ホーム球場。その気持ちは忘れてはいけないことだと思いますし、一生持ち続けていきたいなと思います」

最後、この言葉で締めくくった。「まあ…広いという以外は完璧な球場だったんじゃないですか?」。中田らしい素直な言葉で、札幌ドームとの別れを惜しんだ。