バミューダ諸島のフローラ・ダフィー(33)が、初優勝を果たした。上位でスイムをあがり、トップ集団でバイクを終えたダフィーはランの最終周で他を引き離し1時間55分36秒でゴール。4大会目の五輪で初めて頂点に立つとともに、バミューダに初の金メダルをもたらした。

ゴールしたダフィーは両手で顔を覆った。雨でスイムを始め、虹の下をバイクで疾走。猛暑に耐えながらのランはテーラーブラウン(英国)との競り合いになったが、最後は1分以上の差をつけた。バミューダの旗を体に巻いて喜びを爆発させ「すごく幸せです。夢だった金メダルをとることができた。バミューダで初めての金メダルをとれた」と笑顔で話した。

雨に打たれてスイムを始め、虹の下でバイクをこいだ。ランでは猛烈な暑さとも戦った。「濡れた路面に気を付けた。ランの時に沿道の夫を見つけて、落ち着けた」と、17年に結婚した南アフリカのトライアスリートでコーチのダン・ヒューゴに感謝した。

7歳の時にトライアスロンを始め、10歳で「五輪金メダル」を夢に描いた。しかし、相次ぐ病気やケガで何度も挫折を味わった。摂食障害に貧血、膝や腕、足底筋の負傷…。初めて出た08年北京大会は途中棄権、その後のレースでも1ケタ順位が遠かった。

国際トライアスロン連合(ITU)の育成プログラムに志願し、トップレベルの選手と練習してから急成長した。15年の世界ランキングは前年の67位から飛躍して7位。16年リオデジャネイロ五輪で8位入賞を果たすと、同年と17年の世界選手権を連覇。東京五輪の優勝候補に躍り出た。

もっとも、それ以降もケガに苦しんだ。18年には古傷の左脛骨(けいこつ)の痛みを完治させるため、思い切って1年休養。19年にお台場で行われたテスト大会で復帰優勝したが、その後も手のケガや膝の負傷などで万全の体調になることはなかった。

それでも、東京五輪にかける思いは強かった。バミューダの期待を背負っていたからだ。英領バミューダとしての五輪初参加は1936年ベルリン大会。今大会は19回目の参加だが、メダルは76年モントリオール大会ボクシングの銅メダル1つだけだった。「島に初の金メダルを」。周囲の期待に背中を押された。

世界選手権優勝後の凱旋(がいせん)では、島民6万人が全員で出迎えたといわれる。五輪金メダルとなると、どれだけの騒ぎになるのか。「ケガや病気も、この日のためだった。島に金メダルを持ち帰れて、本当にうれしい」。バミューダ島の「英雄」は、そう言って笑顔をみせた。