初出場の向田真優(24=ジェイテクト)が金メダルをつかんだ。決勝で18、19年世界選手権銅メダルの■倩玉(中国)に5-4で逆転勝ちした。

吉田沙保里が16年リオデジャネイロ五輪決勝で敗れて4連覇を阻まれた階級で、新たな主役となった。男子フリースタイル65キロ級で初出場の乙黒拓斗(22=自衛隊)、50キロ級で初出場の須崎優衣(22=早大)は決勝へ駒を進めた。

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必死にクラッチした両腕で、耐えた。残り40秒、4-4の同点。左足を狙ったタックルを切られて背後に回られたが、耐える。セコンドの志土地翔大コーチが声を張り上げる。「最後は神頼みする気持ち。声はずっと聞こえてました」。離さなかった。逆に場外に押し出し、紙一重を制した。最愛の人は泣いていた。マットを下り、強く抱き合った。この時のために、賛否両論の決断を生きてきた。

20年1月、その3カ月前に婚約した志土地コーチと拠点を東京に移す事を決めた。指導者と教え子の交際に批判の声もあり、前年9月に同コーチは至学館大を辞職。数カ月、指導を受けられなかった。「このままでは強くなれない」。悩み、「私を一番知っているのは翔大コーチ」と懇願し、受け入れてくれた。

東京で収入を得るために「クロネコヤマト」で知られるヤマト運輸の面接を受けるなど、奔走もしてくれた。向田の就職先の計らいで環境が整うと、都内で二人三脚の日々が始まった。練習場から歩いて帰る時もレスリングの話。コロナ禍では荒川の河川敷で練習した。「批判があるのは分かってます。でも、今までは1人で選択していましたけど、いまは2人だから」。

小6で寄宿制で育成する東京のJOCエリートアカデミー入学を決めた時、「ライバルに乗り込んでいった」と至学館大進学を決めた時。「金メダルを取るために」1人で決断してきた。東京行きは3度目の大きな決断。ただ、今回は1人ではなかった。

残り40秒のタックルは勝っている場面だった。「自分の攻めが上回ったら勝てる」と強気だった。終盤に弱気で逆転される、以前の姿はなかった。同コーチは「あそこで取りにいってくれた。やってきた成果が出た」と感涙をした。

17年世界選手権決勝で敗れ、「教えてください」と個別指導をお願いした。それが始まりだった。婚約者となり、喜びを分かち合う日を追い求めてきた。結婚は金メダルを取ってからと決めていた。「自分よりも苦しいことたくさんあったと思うけど、いつも励ましてもらって…」。感謝の涙がほおを伝っていた。【阿部健吾】

◆向田真優(むかいだ・まゆ)1997年(平9)6月22日、三重県生まれ。東京・安部学院高-至学館大。ブラジリアン柔術の選手だった父淳さんの影響で、5歳で空手からレスリングに転向。52キロ級で14年南京ユース五輪金メダル。55キロ級で16、18年に世界選手権優勝、53キロ級で19年銀。157センチ。

※■はマダレに龍