セレッソ大阪は19日、元日本代表のFW大久保嘉人(39)が、今季限りで現役引退することを発表した。

J1リーグ戦で歴代最多得点記録(191点)を持ち、W杯は10年南アフリカ大会、14年ブラジル大会に出場。スペイン1部マジョルカ、ドイツ1部ウォルフスブルクと2度の欧州移籍も経験した。日本歴代最高のFWは現役の最後に、プロとしての第1歩を刻んだC大阪でのプレーを望んだ。

それはC大阪のレジェンドともいえる元日本代表のMF森島寛晃と、FW西沢明訓の2人の背中を追い続けてきたからでもあった。

高校3冠を達成し注目を浴びた長崎・国見高3年時の00年末、当時J1の16クラブ中15クラブから獲得オファーを受けていた。

最終的にC大阪入りを決断した理由を、大久保は「俺と同じように背の低いモリシさん(元日本代表MF森島寛晃)がいたから。モリシさんの背中を見ていれば、俺も代表で活躍できると思った」と明かしている。

07年に神戸に完全移籍してからも、心の奥にはセレッソへの愛着があった。神戸時代の10年にW杯メンバー入りした際、育ててくれたC大阪の関係者にあいさつに向かった。国内外のいくつものクラブを渡り歩いても、常に「最後はセレッソでユニホームを脱ぎたい」との思いを、忘れたことはなかった。

J2の東京Vで無得点に終わった昨年末のこと。

引退か、現役続行で悩んでいた時に、オファーを出したのがC大阪だった。若かりし頃、本当の兄のように慕っていた森島が現在はクラブの社長となり、西沢は大久保の代理人を務める。かつて「モリシとアキ」と呼ばれ、サポーターにも愛された2人が、大久保の「最後の働き場」を作ったのだった。

長らくC大阪のエースとして活躍した西沢もまた、現役の晩年に故郷の清水に移籍しながら、最後の1年(09年)はC大阪に戻ってきた経緯がある。森島は現役の最後は、オーバートレーニング症候群と見られる原因不明の首痛に悩まされ、08年に志半ばでユニホームを脱いだ。仮に周囲からどんなに批判を浴びようとも、2人は弟分の大久保に、心置きなくプレーできる環境を与えたかったに違いない。

以前からC大阪には、選手を大事にする“浪花節”がある。古き良きチームを支えた看板選手がまた1人、ユニホームを脱ぐ。1つの時代が、終わる。【益子浩一】