[ 2014年1月24日12時27分

 紙面から ]高梨の大ジャンプ!!

 11年1月11日付本紙<連載:高梨沙羅

 初代女王のプレリュード第4回>

 「今まで見たこともない景色だった」。11年1月10日、札幌・大倉山で行われたHBC杯ジャンプ大会。中学2年の高梨が、女子の国内最長記録となる141メートルを飛んだ。高く舞い上がり風を捉えるとなかなか落ちてこなかった。ヒルサイズを越えてしゃがみこむように着地。並み居る先輩を押しのけ優勝した。翌日、初めて全国紙の紙面に登場。一気に全国区になった。

 父寛也氏と作り上げてきたジャンプは、小学6年から片りんを見せ始めた。09年3月に山形・蔵王で行われたコンチネンタル(C)杯で国際大会デビューを果たした。同年夏、中学1年で初めての海外遠征を経験し、「グッドラックは分かりました」と屈託のない笑みを浮かべた。経験を力に10月の伊藤杯サマーファイナルで初めてシニアの大会を制した。

 年が明けると勢いはさらに増した。10年1月のSTV杯レディースでは冬の大会で初優勝。初出場した2月の世界ジュニア選手権で7位に入った。中学2年の10-11年シーズンは夏のC杯で総合4位。冬には141メートルジャンプにつなげ、日本女子では初めてC杯に連勝した。

 当時、全日本スキー連盟の女子コーチだった渡瀬弥太郎氏は「足首が柔らかいから低い助走姿勢が組める。その姿勢で飛び出すから飛距離を延ばせる」と分析した。2シーズンで順調すぎるほどの成長曲線を描き、「負けない沙羅」の土台ができあがった。

 だが、そんな高梨を落とし穴が待っていた。11年2月、初出場した世界選手権(ノルウェー)でのことだった。【松末守司】(つづく)