[ 2014年1月29日14時16分

 紙面から ]<連載:高梨沙羅

 初代女王のプレリュード第9回>

 高梨が欧州遠征に出発する直前の21日、ライバルのサラ・ヘンドリクソン(米国)が、右膝のケガから復帰したとの情報が飛び込んできた。「モチベーションが上がる」と大歓迎。23日には米国の五輪代表に選出され、五輪で「沙羅、サラ対決」が再び見られることになった。

 高梨は11-12年シーズンから始まったW杯2シーズンで、ヘンドリクソンとの対戦成績は27戦12勝15敗。それほど差はないように思える。強豪オーストリアのコーチも「当分、サラと沙羅が世界を引っ張っていくだろう」と話した。だが、高梨自身はとてつもなく大きな差を感じていた。「ライバルと言うより、尊敬する選手。まだまだ及ばない」と言い続けてきた。

 2人の出会いは09年までさかのぼる。初の海外遠征に行った夏のコンチネンタル杯で初対戦。結果は高梨が11位でライバルが19位。当時はまだ結果だけ見れば「無名」だったが、目に飛び込んできたジャンプスタイルに全身が震えた。164センチの長身から繰り出す力強いバネを使って飛び出し、一瞬で決まる空中姿勢から流れるように着地する。まさに、高梨の理想のジャンプだった。

 練習前、大会当日の過ごし方などを常に観察し、参考にした。大会中はジャンプ台に上がっても、苦手としていたテレマーク姿勢を練習し続けた。常にライバルに刺激され向上心をかき立てられてきた。高梨が個人総合女王に輝いた12-13年シーズンも、ヘンドリクソンはケガで出遅れながら後半調子を上げ、2月の世界選手権で金メダルを奪っていった。「サラは技術もそうだが精神的にもすごく強い。彼女がいるからまた頑張ろうと思う。経験して力にしたい」。

 五輪シーズンの13-14年。「どうしたら勝てるのか?」。ライバルへの強い思いを胸に、夏に“チーム沙羅”を結成し、進化を遂げることになる。(つづく)